研究期間最終年度にあたるため、資料調査に関しては、従来見落としていた新聞記事などを補充する一方で、旭川以外の軍隊所在都市にも調査対象を拡大し、比較検討の対象とした。とりわけ日露戦後に遊廓設置問題が顕在化した高崎・水戸・甲府などでは、有意義な資料収集ができた。軍隊誘致は実現しなかったが、福島県平町でも遊廓問題が発生しており、調査の対象とした。 以上の収集資料の分析をふまえ、「日露戦後期の軍隊立地と遊廓をめぐる社会状況-北海道旭川町の中島遊廓設置反対問題を中心に-」と題する論文を執筆し、『歴史学研究』968号(2018年3月)に掲載されるに至った。この論文では、1907年に旭川町長や町会議員らが起こした中島遊廓設置反対運動について分析した。彼らは遊廓の存在を是認しており、税源や地域振興の資源とみなすがゆえに、町域外の中島に立地することに反対していたことを明らかにし、廃娼運動とは評価しえないと結論づけた。また、彼らが上京して輿論に訴える手段をとり、『東京毎日新聞』を筆頭に在京各新聞でも大きく報じられたが、その背景には日露戦後の軍拡期において軍隊立地を口実に遊廓設置をもくろむ高崎・水戸・甲府・豊橋などの動向に対する批判が存したことも論じた。結局のところ、旭川で起きた中島遊廓設置反対運動は、軍隊およびそれに付随する遊廓を町域内に設け、それらと共存することによって都市の振興を図ろうとする動きだったのである。 従来の公娼制度や廃娼運動に関する歴史研究は、税源や地域振興の資源としての遊廓について踏み込んだ分析は行ってこなかった。また、軍隊と遊廓の関係性について言及されることはあっても、地域の諸動向をふまえた精緻な事例研究は進んでいなかった。今後は、同時期に問題化していた他の軍隊所在地(高崎・水戸・甲府・豊橋など)の研究にも着手し、軍隊と遊廓の関連性に迫る事例を豊富にすることが求められる。
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