本研究は、師団所在地の北海道旭川町で1907年に起きた中島遊廓設置反対問題を分析対象とするものである。隣村への遊廓新設案に対して、旭川町長や町会議員の多数が反対運動を始めた。予定地が学校に近接していることも一因であったが、税源である遊廓が町域外に立地すると、町税収入の減少が見込まれる点も反対の論拠となっていた。彼らの目的は、軍隊及び遊廓と共存して地域振興を図ることだったのである。反対派は東京で輿論を喚起する行動に出た。ちょうど日露戦後の軍拡期にあたり、軍隊立地を口実に遊廓の設置を求める所が全国で急増して非難の的となっていた。そのため彼らの動向が東京で反響を呼ぶに至ったが、その経緯も解明した。
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