本研究は、前近代における自然災害の発生とそれへの対応に関して、当時の社会が災害をどのように記録化し、または伝承や信仰の中に災害の影響を反映してきたのかを、古代・中世から近世にかけて甲斐国で発生した噴火・土石流災害、水害を中心に考察することを目的に実施した。特に宝永4年(1707)に発生した富士山の噴火(宝永噴火)を主な対象として研究した。 平成30年度には、本研究に係る研究内容をまとめた研究成果報告書の刊行に向けて、これまでに調査した文献史料の翻刻作業を進めるとともに、浅間山や草津白根山といった群馬県内の火山における噴火災害や信仰に関する文献史料を群馬県立文書館において調査し、翻刻を行うとともに、それを踏まえて富士山との比較や関係性を考察した。 この結果、天明3年(1783)に発生した浅間山の噴火(天明噴火)と宝永噴火との災害記録を比較すると、宝永噴火の場合には甲斐・駿河両国や江戸周辺で複数の災害記録が作成された一方、天明噴火の災害記録は上野国・信濃国の災害状況が記録されるとともに、中仙道沿道を中心に被害状況に関する情報が伝播したことを確認できた。また双方ともに、公用記録に加えて紀行文体で著された民衆間で流布した記録が伝来していることがわかった。さらに天明噴火の災害記録や浅間山の縁起には、宝永噴火の災害記録や浅間山と同じ修験の霊場である富士山の信仰が反映されたものも見受けられ、宝永噴火の災害記録は、同じ修験の霊場である浅間山の天明噴火に関する災害記録に影響を及ぼし、参考や比較の対象として受容されたことが判明した。 なお、当該年度の調査により、浅間山の信仰は同じく火山である草津白根山の信仰と一体化して育まれたことや、天明噴火の災害記録に草津白根山の状況が記載されていることを確認した。 これらの成果を踏まえて、平成31年3月に研究成果報告書を刊行し、本研究を総括して研究期間を終了した。
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