本年度は諸般の事情によりラージャスターン調査がかなわず、代わりにラージャスターンの城砦の比較対象として、日本の古代山城(鬼ノ城、大野城)および戦国・近世期の城郭都市(備中松山城、伊予松山城)を調査した。その比較調査の結果、以下のような新たな知見を得た。 日本の古代山城は基本的に13世紀以前のラージャスターンの大規模山上城砦と、規模としても構造としても非常に似通った城砦である。ただしラージャスターンの大規模山上城砦が王都として政治都市の機能を完備する都市城砦であるのに対して、大野城など日本の古代山城はそうした性格ではなく、倉庫・防衛機能が目立った城砦である。また、日本の山城は谷を囲う構造であり、城砦内が凸型ないし平坦なラージャスターンの山上城砦とは子細に見れば構造的にも異なっている。 他方、備中松山城や伊予松山城のように濠と土塁で山麓政庁と城下町を囲い、山頂に小規模城砦を配置する戦国末期・江戸初期の城郭タイプはラージャスターンでも見られ、しかも興味深いことにほぼ同時期である16~17世紀に作られている。その典型はアーンベールやブーンディーであるが、それら以外にも山麓の政庁・宮殿と城下町を囲う城郭都市はこの時代のラージャスターンでは極めて一般的である。古代山城と同様、この時代においても見られるラージャスターンとの構造的類似性は、今年度の調査による重要な発見であると思われる。 こうした類似性にもかかわらず、日本では古代山城と中近世の城郭との間には技術的にも文化的にも明らかに断絶があるとされる一方、ラージャスターンでは日本のように古代の山城が放棄されることはなく、大規模山上城砦と近世城郭との間の連続性が際立っているという両地域の相違点もまた、今回の調査の重要な知見である。
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