研究課題/領域番号 |
26370833
|
研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
石黒 ひさ子 明治大学, 政治経済学部, その他 (30445861)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
|
キーワード | 墨書陶磁器 / 墓誌罐 / 寧波 / 博多 / 経筒 / 墓誌 |
研究実績の概要 |
平成26年度は南京建康城出土六朝時期墨書陶磁器についてのデータを公表し、中国墨書陶磁器の実態調査のため、中国南京大学で情報収集を行った。墨書陶磁器は宋代以降中国各地で出土するが、唐代には見えない。建康城は六朝時代末期に破壊されるため、都市機能が連続し、南京に隣接する鎮江市・揚州市の資料状況を南京大学文化与自然遺産研究所の助力を得て確認した。その結果、近年の都市開発に伴う考古発掘が膨大で未整理状態であり、年度調査は不能と判明した。しかし、移転準備中の寧波市の考古学研究所では移転後に調査可能と交渉できた。 寧波は日本との関係も深く、博多出土の墨書陶磁器との関係からも重要な地域であり、寧波で予備調査を行った。文字の関わる陶磁器資料について南京大学文化与自然遺産研究所の助言も得て調査を行い、隣接する慈渓市を中心に墓誌を陶磁罐に刻んで作成した「墓誌罐」が唐代晩期から五代十国時期に存在することがわかった。墓誌罐は不明の点が多く、研究はほぼ皆無であるが、慈渓市博物館館長による資料集成によってようやく全容が解明しつつある。これは中国では他に類例がないとされているが、壺状の器に墓誌を記すというのは日本古代に見られるものであり、東アジア地域の観点からは貴重な類似点となる。また九州から出土する経筒には陶製のものがあり、中国華南地域の製品と理解され、文字の記載はないが、その形状や大きさは墓誌罐とほぼ一致する。墓誌罐の存在は経筒研究にも重要である。 寧波予備調査によって判明した墓誌罐の問題から日本の九州との関係性を理解する必要も生じ、博多を中心に九州での調査も行った。墨書陶磁器には博多出土のものと類似のものが韓国の沈没船にも見え、いずれも寧波からの輸出品と考えられる。墓誌罐と経筒の類似においても北部九州地域と寧波の比較は必須であり、本研究の目的である東アジア地域での比較研究の重要性を示すものである。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
六朝時期の墨書陶磁器は、南京建康城からはまとまった出土があり、これについてデータベース化したものを明治大学古代学研究所墨書・刻書土器データベースに初めての海外分野として公表することができた。これまで資料としての存在すら知られていなかった墨書陶磁器をデータべースの形で公表できた意義は大きい。 建康城以外にも六朝時期の墨書陶磁器は存在するが、多くとも数点ずつの出土しか報告されていないこと、宋代には墨書陶磁器の出土は確認できるが、唐代の墨書陶磁器の事例がないことから、建康城以外で南北朝から唐代についての状況を確認できる地域での調査を予定していた。しかし、南京近郊で上記条件に合致する鎮江、揚州の機関では現在調査不可能なことが判明した。しかし、調査準備のため、南京大学文化与自然遺産研究所と密接に連絡をとったことで、報告はあまりなされていないものの、宋代には中国各地に墨書陶磁器が出土し、宋代の遺跡にはむしろ普遍的に存在するということが理解できた。これまで、日本博多から出土する墨書陶磁器は、中国産陶磁器が中国から輸出する時に記されたものという理解はされているものの、中国では出土報告が福建のものしか公表されていないため、福建省との関係が強調されている。本研究では博多出土の墨書陶磁器も検討対象と予定しており、26年度には博多での調査も開始することができた。 さらにまだ本調査は開始していないが寧波の考古学研究所とはすでに連絡をとることができている。またこの地域では晩唐時期に墓誌罐という資料が存在し、その形態が日本出土の陶製経筒と類似しているというこれまで知られていなかった事実を発見した。墨書陶磁器資料の欠落する唐代時期に、陶磁器に関わる文字資料の存在を確認できた意義は大きい。これは本研究が目指す東アジア地域での比較においても重要な発見である。
|
今後の研究の推進方策 |
26年度は国内外で調査を行い、文字を伴う陶磁器資料として墓誌罐の存在と、その類似する日本国内の資料について多くの知見を得た。これらは東アジアの観点からの比較では重要な資料であるが過去の研究がなく、現在、この知見を研究成果として発表する作業を進行中であり、研究論文や学術報告の形で公表を予定している。 考古学研究所移転作業により実施できていない寧波での本調査は南京大学文化与自然遺産研究所を通じて交渉をすすめており、26年度末にはなお移転作業中であったが、移転完了後直ちに寧波で墨書陶磁器・墓誌罐および文字を持つ陶磁器資料の調査を予定している。さらに寧波においては墨書・朱書のある唐代漆器の報告もあるが、詳細が不明であり、これについても実見調査を希望している。また寧波市に近接する越窯では刻字のある唐代の窯道具や陶磁器が存在し、越窯博物館における調査も南京大学を通じて交渉中である。ここは寧波と隣接するため、同時に調査可能と考えている。唐代に墨書陶磁器がほとんどなく、宋代に入ると爆発的に墨書陶磁器が増加するという現象も上記漆器や越窯の調査から理由解明を進めることが可能である。 寧波出土の墨書陶磁器はまだ正式に報告されたものがないが、その存在の有無を含めて、寧波から博多をつなぐ交易路の理解に欠かせないものであり、寧波調査が実現した場合には、博多及び韓国での墨書陶磁器出土状況との比較研究も欠くことはできない。墨書陶磁器と交易という視点から、墨書するという行為の性格を把握し、前駆的存在である六朝時期の墨書の意義を明らかにし、合わせて九州地域の陶製経筒についても理解を深めたい。 唐代の墨書陶磁器は公表された資料を熟覧したところ、華北のケイ窯に僅かに見える。南京大学を通じて主に南京を含む江南地域の調査を進めてきたが、今後は華北地域での墨書陶磁器についても調査を拡大して研究を推進したいと考えている。
|
次年度使用額が生じた理由 |
平成26年度に南京以外の墨書陶磁器の実態調査可能な地域を探索し、寧波での予備調査を行った。平成26年夏の調査では年末までに寧波市考古学研究所倉庫の移転作業が終了するという予定であったため、寧波予備調査によって、九州特に博多地域や、韓国出土の墨書陶磁器との比較の重要性が増したため、韓国調査、九州調査を年度末までに先に行ったが、平成26年度中に寧波での調査を実施できる予算を年度末まで確保しておく必要から最小限の出費になるよう努力した。しかし、27年3月までに寧波での移転作業が終了せず、年度内での調査が不可能となった。中国側の事情として、長期の休暇となる旧正月が27年は暦の関係で2月後半という旧正月としては最も遅い時期にあたったこともある。調査は移転完了の連絡後を予定しているが、以上の理由により、26年度の調査用の費用として用意していた物品費・旅費・人件費に未使用分が生じている。
|
次年度使用額の使用計画 |
27年度使用額が生じた理由のとおり、寧波市考古研究所倉庫での墨書陶磁器調査のため、物品費、旅費、人件費を使用する。また27年の調査で墨書陶磁器の他に、越窯周辺から出土した墓誌罐と九州から出土する陶製経筒が、その形態において極めて相似していることが判明し。中国・日本でのそれぞれの研究者からも、この二つの共通性についてはこれまで指摘がない。墓誌罐は陶磁器に墓誌を記したものであり、陶製経筒には墨書銘が見られる資料もある。このことからも、これらの資料は本研究のテーマ「東アジアにおける墨書土器・墨書陶磁器の発生と発展の時間および空間的これらの源流や発展の過程」に合致したものであるといえる。博多出土の経筒についてはすでに26年度中に一度調査を行っており、越窯周辺から出土している墓誌罐についての調査も27年度には実施する予定であり、寧波調査と合せて物品費、旅費、人件費を使用する。
|