研究課題/領域番号 |
26370835
|
研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
石濱 裕美子 早稲田大学, 教育・総合科学学術院, 教授 (30221758)
|
研究分担者 |
橘 誠 下関市立大学, 経済学部, 准教授 (30647938)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
|
キーワード | ダライラマ13世 / ジェブツンダンパ8世 / 自治 / 独立 / 宗主権 |
研究実績の概要 |
まず資料探索の分担について述べれば、石濱裕美子はフィンランドのマンネルヘイム男爵、ロシアのコズロフが20世紀初頭に行ったアジア探検によってもたらされた資料(写真・将来品)を探索し、橘はモンゴル共和国首都ウランバートルにおけるチベット語・モンゴル語資料探索を行い、小林亮介はアメリカにおいてRockhill文書を探索した。こうして得た資料について、モンゴル語が口語・文語ともに堪能であるもののチベット語が解読できない橘がチベット語文書を発見すれば、その資料をチベット語が口語・文語ともに堪能であるもののモンゴル語が読解できない小林が解読し、その逆、すなわち小林がモンゴル語をみつければ橘が解読するといいった形で協力しあったため、研究は非常に効率よく進行した。 従来、20世紀初頭のチベット、モンゴル史は、チベットはイギリスと清朝、モンゴルはロシアと清朝との関係から考察されても、チベットとモンゴルの関係については等閑視されてきた。しかし、今回三者が協力しあって行った研究を総合すると、20世紀初頭のチベット・モンゴルの関係は、王権像、商業、巡礼などを通じてはるかに密接に関連しあっていたことがわかった。 これらの研究成果を一般に共有すべく2016年3月12日に中央ユーラシア歴史文化研究所のシンポジウムで橘、小林が発表し、石濱がコメンテーターを務めた。また、橘、小林はNewyorkのVassar Collegeにおいて開催されたConference on Asian Studiesで前者はモンゴルの、後者はチベットにおける「自治」「独立」「宗主権」の概念の消化の仕方を発表し研究成果の海外への伝達を行った。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
石濱裕美子はマンネルヘイムのアジア旅行記Across Asiaを研究するうち、ロシア領内のチベット仏教徒(ブリヤート人、カルムキア人)が19世紀末、ロシア帝国や清朝の弱体化にともない、チベットやモンゴルに大量に越境していること、彼らがモンゴルとチベットの交流を活発化していることを解明した。また、1908年にダライラマ13世と会談したロシア地理学協会の探検家コズロフの1905年の報告書からジェブツンダンパ8世のダライラマ13世に対する劣等感がジェブツンダンパ8世のダライラマ13世化をすすめたことも判明した。 橘誠は1927年にバトオチルが記したモンゴル通史に資治通鑑などの中国史の思想が入っている事を論文「モンゴルの国史編纂と翻訳文献:Ch.バトオチル抄訳『通鑑』・『綱目』について」で明らかにし、さらに本資料の出版許可をとりつけた。 小林亮介はアメリカの議会図書館所蔵のRockhill文書を用いて、チベットが1904年にはイギリスを敵視しつつも1909年にはイギリスを頼ることになるとは、チベット学者でアメリカ人のRockhillとの交流によるものと明らかに下。また、20世紀初頭、ロシア帝国とチベットを往来して両国を結びつけたブリヤート僧ドルジエフについて"Agvan Dorzhiev (1854-1938)"を発表した。 以上の研究成果を一般と共有すべく、2016年3月12日に中央ユーラシア歴史文化研究所のシンポジウム「通商・巡礼・亡命:17~20世紀初頭の中央ユーラシアにおける超境界活動」において、橘は「清朝崩壊後のモンゴル・チベット関係」、小林は「ダライラマ13世の亡命と外交(1904-1912)─W. W. Rockhillとの往復書簡の検討を中心に─」という発表を行い、両者のコメンテーターを石濱が務めた。
|
今後の研究の推進方策 |
2016年1月10日に石濱研究室で橘、小林三者で研究会を行った際、この二年間三者共同で勧めてきた研究成果が世界に共有されるべく英文で書籍化することとし、以下の章構成でまとめていく。 第1章1905年、イフ=フレーにおけるダライラマ13世とジェブツンダンパ8世の確執、第二章、1905-1908年間のダライ・ラマの外交覚醒(ロックヒルと書簡、通商協定、寺本婉雅書簡) 、第三章、カルムックとブリヤートのチベット仏教世界への帰還、第4章、1909年、ダライラマ13世との清朝との絶縁宣言、第5章、1911年のモンゴルの独立とジェブツンダンパ8世のダライ・ラマ化、第6章、1913年、チベットの独立とダライラマの現実的な外交努力、第7章 蒙蔵条約とモンゴル在住のチベット商人、第9章、1913年国家成立以後のモンゴル・チベットの関係‐青海クルク貝子を中心として‐。第10章、 バトオチルの史書にみる独立モンゴルの新史観。 このうち、序論は石濱が担当し、続く10章のうちと1、4、5章は石濱、2、6、7、8章は小林、8、9、10章が担当し、構成上ブリヤートの仏教についてが手薄となるので3章を新たに井上岳彦氏に依頼する。 また、同書に関係する20世紀初頭のチベット・モンゴルの写真を石濱がサンクトペテルブルグのロシア地理学協会にあたり、小林が大英図書館蔵のチベット文書の掲載許可を得ることをきめる。さらに、 Kreddhaからチベット・モンゴル仏教世界をテーマとした円卓会議を日本で開催したいとのオファーがあったため、本研究を海外に共有する良い契機となるため、2017年の3月に早稲田大学で開催する方向で調整を始めた。本年はこれらの書籍の部分をなす各章の英訳、挿入する文書・写真の収集などに各自あたる。
|