研究課題/領域番号 |
26370846
|
研究機関 | 長野工業高等専門学校 |
研究代表者 |
久保田 和男 長野工業高等専門学校, 一般科, 教授 (60311023)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2019-03-31
|
キーワード | 郊祀 / 地中 / 中都大興府 / 上京会寧府 / 洛陽 / 開封 / 海陵王 / 艮岳 |
研究実績の概要 |
前年度までに、北宋の都城開封と遼の中京について、本計画にもとづいて研究を行い、多重城郭における都城社会の問題を明らかにした。本年度は、金朝における都城について、多重城郭の意義を明らかにすべく研究をすすめた。とくに開封や遼の中京との比較検討あるいは継承関係を考えることで、金の上京会寧府と中都大興府の城郭構造についてあたらしい見解を打ち出すことに成功した。これにより比較都城史という都城分析の方法論に確信をもつようになった。 論文では、金上京から中都への遷都に対応して、多民族を城郭内で棲み分ける遼のより受け継いだ南北連郭型都城の方式から、多民族を混住させて城郭内に集住させる開封の方式に切り替わったことを指摘した。これは、海陵王が、北宋型の中央集権国家・君主独裁制による国家の形成を志向し、それを北宋で科挙に合格した官僚たちが協力したことによる変化であると考えられる。 比較都城史の方法は、元の大都についての研究にも一石を投じることが可能なものである。本年は特に郊祀という都城共通の施設に関わる問題を比較する方法を用いる可能性の検討に入った。口頭発表によって「元の大都」と「五代十国」についてそれぞれ一回ずつ、郊祀と都城の問題を論じた。次年度(本年度)は、学会にて出された質疑にもとづいて修訂をおこない、活字化する計画である。 一方で、五代北宋の洛陽についての研究を完成させた。この研究では、鄭玄を代表とする漢唐儒学によって中国の中心「土中」と見なされていた洛陽に対し、『周礼』の計測法を用いて開封を中心「地中」とする理論が用いられるようになったことを指摘した。その上で、北宋で洛陽への遷都や行幸をする論理を検討することによって、洛陽が都城としての地位を失うまでの歴史的な過程を考えた。 また、艮岳の成立を『事林広記』所載の開封地図を材料として道教主義の都城空間形成について検討した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当初の計画は、最終年度に金代都城について検討することでこの研究に一区切りをつけることになっていた。その計画通り、金朝の都城についての研究論文を完成させた点からすると、本研究の昨年度の研究の進捗状況は順調に進展しているといえる。 しかし、金の都城の研究に従事したなかで、多重城郭制による比較都城史の検討とともに、中国都城に必須の施設である郊祀(南郊)の問題が比較都城史の研究において重要であることに気づくようになった。そこで、遼と金という北族国家の都城から、さらに元朝の都城についても研究を始め、現在の北京周辺をめぐる都城史の新しい論点が見えてきた。そこでは都城空間における仏教王権論も関連づけながら検討を行うことも想定されてきている。 また、五代十国の都城と郊祀との関係性を改めて考察した。まず、五代・北宋の洛陽の問題を考え、その上で、五代と十国諸国の郊祀の実施を統計分析することによって、この論点によって「五代十国」という北宋時代の時代観(現代もそれにとらわれている)についての疑義を呈することになった。このように、計画が順調に行われた上に新たな論点を抽出することができた。以上のような理由から、当初の計画以上に進展したという判断した。 ただし、南宋の臨安の城郭についての研究は、その基礎作業は終わったものの、同時期の金代都城などとの比較による研究はまだ公表できる段階にはない。これは、郊祀の比較による都城プランを再検討が重要であるとあらたなに気づいたため研究計画を再構築する感じてためである。
|
今後の研究の推進方策 |
本研究は計画段階では、多重城郭制の城郭の高さの問題を中心とした都城空間を比較するというものであった。この研究の遂行の過程で、中軸線街路(千歩廊)の検討というプロセスが生じる。千歩廊と関係が深い郊祀儀礼の制度が、都城空間あるいは都城プランの形成において重要性が高いことがわかってきた。郊祀制度が各時代の儒教の変化に対応したものだ宝である。特に北族王朝である遼金元においては、中国式儀礼の郊祀をどのように摂取したかによって、都城空間の布置に比較検討する可能性があるのである。そのような観点から、9から14世紀という東アジアの激動の時代の都城史を再構築することが今後の研究の推進方策である。 本研究のなかでもう一つ想起した新しい気づきは以下のようなものである。北宋における新法旧法の政治思想を背景とする闘争が、靖康の変を切っ掛けとして、南北に分散したのではないかという仮説である。これは都城史の問題を考えるために重要な論点である。つまり、金の中都は、中軸線街路の「千歩廊」など、開封のもつ都城空間の要素を受け継いでいるが、その中には新法時代の政治文化を受け継いだものが多い。一方南宋は旧法主義であるので、臨安には開封のもつ新法的な側面(たとえば高い城壁)は都市空間からそぎ落とされている。中都は大都そして北京に受け継がれて行き、中国都城のメインストリームとなるゆえに、この靖康の変にはじまる南北の分裂は、都城史の新しい歴史の出発点として新しい意義をもって注目する必要が有るようである。この仮説を明らかにすることが今後の研究の推進方針である。
|
次年度使用額が生じた理由 |
新刊の関連図書が3月までに納入されなかったことが主な原因である。年末になり新たな研究エリアを開拓することになり、郊祀についての研究書を求めたが、年度末には購入依頼を出すことができなかったので、次年度において購入することにしたからである。 本年度は関連図書を用いて郊祀と都城空間の関係を考察する。その成果は、北京大学で開かれる「信息溝通」をテーマとする学会(11月3日開催)で報告する。「五代十国」とよばれる期間における郊祀と郊祀をめぐる情報伝達や物資の移動について検討し、当該時代の政治史について一石を投じる予定である。この発表の内容は、本研究の発展段階の問題であり、研究の完成によって新しい時代像を結ぶことが期待される研究課題である。 なお、本年度は、歴史科学協議会の大会(2018年12月実施)において、都城の災害と復興についてのシンポジウムが行われる。研究代表者は報告者としての参加を依頼された。シンポジウムにおいては、靖康の変によって廃都となった開封の都城性が、北では金の中都として、南では南宋の臨安として復興してゆくという新しい歴史像を紹介し、本研究の完成とする計画である。これらの学会への準備費用と旅費などが使用計画である。
|