アメリカ史研究において黒人という人種集団はともすれば一枚岩的な存在としてイメージされてきた。白人やその他の人種エスニック集団の内的多様性が自明視される一方で、黒人は強制的にアフリカ大陸から連行された奴隷およびその子孫、つまり非移民としてしばしば想起されてきた。こうした白人と黒人に対する非対称な認識はアメリカの人種主義的な認識枠組みを側面から支えてきた。だが重要なこととして、20世紀後半以降、アメリカの黒人の実態と上記の一枚岩的な黒人イメージの間の乖離は急速に拡大している。ニューヨークの黒人コミュニティに注目する本研究の基底にはなによりこうした状況認識がある。特に20世紀後半以降、ニューヨークの黒人コミュニティは急速に多様性を増し、構成要素の質的変化や空間的な境界をめぐる攻防を通じて「アフリカン・ディアスポラ」としてのダイナミズムを涵養してきた。 本研究では、ニューヨークのなかでも代表的な「黒人コミュニティ」である中央ブルックリンと北部マンハッタン(具体的にはハーレムとワシントンハイツ)に注目し、質的変化と空間的変化というふたつの側面に関して歴史学的な分析を行った。前者は主に「誰が中心的な住民であるか」に関わり、後者はコミュニティの空間的境界の移動に関わる。1960年代後半以降、西インド諸島からの黒人移民の増加を受けて多様性が急速に増した中央ブルックリンが前者を、1960年代以降、コロンビア大学によるハーレムへのキャンパス拡大をめぐって黒人学生や住民が展開したコミュニティの境界線をめぐる攻防が後者をそれぞれ集中的に顕在化した歴史事例である。またワシントンハイツは空間的境界の変動とコミュニティ内で「エスニック・ターンオーバー」が同時進行するという、前者と後者が連動した事例である。
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