前403年におけるアテナイの寡頭・民主両派の政治的和解は、アテナイ市民のみによって達成されたのではなく、第3者としてのスパルタの仲介によってはじめて実現したものである。スパルタ王パウサニアスと10人の「仲裁委員」の和解における役割は、従来あまり評価されなかった。しかし派閥の二項対立による膠着状態を打開するため、「他者」を呼び寄せて調停にあたらせる手法は、ギリシア世界の国際政治において、むしろ伝統的なものである。このように本研究では、スタシスがギリシア都市国家の宿痾であるのと同じ程度に、「他者性」によって和解と調停を図る手法もまた、ギリシア人の伝統的解決法であったことを明らかにした。
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