(1)ケネディの西ベルリン市庁舎前演説は、専門家の評価は低いが、対共産圏人権戦略を打ち出し後の西側人権戦略の先駆となり東独出国運動も支えた。(2)著名な女性革命家かつ東独建国理念の母ローザ・ルクセンブルクは異論の自由を社会進歩の必須条件だと主張した。その主張を横断幕に記した出国運動グループが東ベルリンで1988年1月17日官製のローザ追悼闘争デモに参加しようとして弾圧され連日の大規模抗議運動となった。翌年の同行事ではライプチッヒで数百人が「沈黙行進」を敢行した。こうして壁開放に到る道が掃き清められ始めた。(3)改革者のはずのゴルバチョフが対東独政策ではブレジネフを継承し策略を駆使した。
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