研究課題/領域番号 |
26370874
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研究機関 | 武蔵大学 |
研究代表者 |
平野 千果子 武蔵大学, 人文学部, 教授 (00319419)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 植民地主義 / 歴史認識 / フランス植民地 / 植民地史 / サハラ以南アフリカ / 黒人 |
研究実績の概要 |
平成27年度の成果として、5点の論考を公刊できた。ここではそのうち3点に言及しておきたい。まずはインド洋の島、マイヨットを素材に論じた「国民国家と植民地主義」である。マイヨットは4つの島からなるコモロ諸島の一つで、19世紀半ばにコモロの中では最も早くフランスに植民地化された。他の3つの島と政治的に一体だったことはなく、むしろ対立の歴史が続いていた。1975年にコモロが独立した際も、住民投票でマイヨットのみは仏領への残留を決めた。従属の継続を積極的に望む植民地の姿勢が、宗主国フランスの認識に与える影響は小さいものではないだろう。こうした選択の理由はさまざまだが、とくに19世紀の奴隷制廃止の経緯から、マイヨットはフランスを「自由の国」だとみなしてきた。実際の利害はさておき、この種の物言いが従属地域から発せられる現実を無視することはできない。フランスには自らの植民地支配をめぐって、肯定的な歴史認識が今日でも色濃くみられる面があり、マイヨットはそれを植民地の側から補強したともいえる。今後、考察を深めるに際しても、立ち返って参照すべき事例である。 次に「シャルリ・エブド襲撃事件とフランス」を取り上げる。ムハンマドの風刺を執拗に掲載していた風刺画新聞社が、襲撃を受けた事件を扱ったものである。この事件を植民地支配の延長上に位置づけるつもりでは、もちろんない。とはいえ、上述のような根強いフランスの歴史認識を背景に、被支配の側に連なる人びとに負の価値づけをする姿勢が続いているようにみえるのもまた、否定できない。事態を単純化することなく、歴史的経緯に目配りしながら解きほぐしていかなければならない論点であろう。 最後に『人形の文化史』に掲載した、ヨーロッパの「黒人人形」をめぐる小論がある。「黒人」は本研究から導き出される大きなテーマの一つであり、次年度への思考の架け橋とすることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成27年度は、植民地史をめぐる「歴史認識」というテーマの重要性を、再確認する結果となった。植民地支配が種々の暴力を伴ったことは、いうまでもない。しかしそれが後の時代にどのように認識されているかは、レベルの異なる議論である。当該年度に公刊したマイヨットの事例は、植民地化の経緯や時期は若干異なるものの、サハラ以南アフリカをめぐる状況と比較対照するに、格好の素材であった。サハラ以南アフリカは広大な領域であり、単純に類似の歴史をたどった地域であるとはいいがたい。しかし別の観点からすれば、この地を特殊な「植民地」と結論づけることを戒める意味においても、マイヨットのような事例を参照し、比較考察することの重要性を認識することができた。 さらに平成27年度からは、「歴史認識」から発展して、フランスにおける「黒人」の認識も視野に入れている。フランスの植民地支配をめぐる歴史認識を検討するにさいして、長らく被支配の側に置かれた「黒人」にどのようなまなざしが向けられてきたのかは、重要な一つの要素である。この問題が単純でないのは、奴隷制時代の書き物などにおいて、あからさまに差別的なことを書くのではなく、ニュアンスを含んだ複雑な文体で書かれるケースも少なくないため、読解が一様でないことがある。たとえば啓蒙思想家モンテスキュー『法の精神』の奴隷制に関する記述をどう解釈するかは、近年大きな議論となっており、複数の立場からの論考も出されている。これは「黒人」認識を考えるのに、避けて通れない論点ともなっている。幸い当該年度のフランス出張で、いくつか文献を収集できたと同時に、フランス人研究者へのインタヴューも実現した。多様な読みが可能な文章から、どのような結論を導くか、今後も考え続けなければならないテーマである。本研究3年目の着地点をめざすにあたり、重要な示唆を得ることができた。
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今後の研究の推進方策 |
平成27年度に向けては、フランス/ヨーロッパにおける「黒人」認識を視野に研究を進める予定を記していた。フランスにおいてアフリカ系の人びとが可視化され、「問題視」されるようになったのは、ようやく20世紀の末からである。アメリカでマイノリティといえば「黒人」がまずあげられるが、それとは異なってフランスのマイノリティというと、即座にイスラーム系が想起される現実がある。しかし、フランスも奴隷貿易・奴隷制を行った国の一つであり、同時代にすでに、「黒人」と総称される人びとがフランスに到来していたのも事実である。当然のことながら、彼らをどのように処遇すべきかは、議論の的だった。そのため平成27年度には、実績として刊行されたものを執筆するほかに、彼らが本国フランスでどのような扱いを受けていたのかを考えるため、まずは制度的な側面からの整理に着手した。その一部は平成28年度に刊行される手はずになっている。 次の段階として、肌の色の黒い人びとに対して、どのようなまなざしが注がれていたのか、検討するのが課題である。それにあたって、そもそも「黒人」と称される人びとが、多様な出自であったことを確認する必要がある。奴隷制時代には、アフリカ出自で奴隷植民地に送られた黒人と、彼らと白人の混血の者がおり、身分はそれぞれ異なった。しかもそれに加えて、アフリカから直接フランスに到来する者たちも、わずかながらすでにいた。時代が下り、アフリカ大陸そのものが植民地化されると、当然のことながらアフリカ人も数を増す。そうした本国における彼らの存在は、どのようなまなざしの変化を生んだのか。これは、今後時間をかけて探求すべき課題である。 やや遠大ではあるが、そうした黒人観がどう変化したのか、彼らを含む植民地史への今日の歴史認識は、どう関連しているのか、それを含めた歴史叙述はどのように可能か、考察を深めたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成27年度には、想定以上に豊富な欧語文献を収集することができた。しかし他方で、夏と冬の2回、海外出張を実施する心づもりであったのが、諸般の事情に加えて、予定していた量を超えた執筆の仕事があり、それらに多くの時間を使うこととなった。そのため夏に予定していた出張を断念せざるをえなかったことから、旅費に充てていた予算を消化しないまま終わった。必然的に、当該年度に本研究費で可能であれば実行しようとしていたアフリカへの出張も、不可能となった。結果として次年度繰越金が生じたしだいである。
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次年度使用額の使用計画 |
平成28年度には、これまでと同様、史・資料調査を継続するために、フランスへの出張を計画している。それに加えて、平成27年度に実施できなかったサハラ以南アフリカへの出張を、行いたいと考えている。なかでもめざしているのは、セネガルである。フランスの奴隷交易の重要拠点は、古くからのフランス領であるこの地にあった。植民地時代に建設され、当時のルイ14世の名を冠した都市もある。サハラ以南アフリカ植民地を手がかりにフランスの歴史認識を考察するという本研究の趣旨からしても、現地がいかなる状況にあるのか、今日の姿を実際に目にすることには、大きな意味があると思われる。また最後のまとめのために、モバイル型のコンピュータを一台購入したい。
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