本年度は過去3年間に収集した資料の読解に重点を置き、成果を公開する準備を進めた。それを概略すると以下のようになる。 19世紀末のマケドニアで内部マケドニア革命機構IMROが結成された。IMROは、従来は軍・警察等の体制側の標的を狙っていたテロの手法を民間の非戦闘員に対して用いることで大衆動員を可能とするという新たな戦術を編み出した。この戦術はマケドニアのセルビア派活動家を通じてセルビア軍特殊部隊の指揮官だったヴォイスラフ・タンコシッチに伝授され、タンコシッチはセルビア軍内部にIMROに範をとったゲリラ部隊を建設した。これがセルビア軍内部の青年将校組織である黒手組の原型である。この手法は1913年のボスニア併合危機以降、当時ハプスブルク領だったボスニアに応用され、タンコシッチはハプスブルク支配に不満を持つ青年層を接触し、プリンツィプ・グループへ武器を供与した。一方、IMROを取り締まる側にあったオスマン帝国陸軍でも新たなテロ戦術に注目する将校たちが存在し、彼らは統一と進歩協会CUP内に独自の組織を結成した。この組織はエンヴェル・パシャに率いられていたが、青年トルコ革命を機にIMROのサンダンスキ派と協力関係に入り、エンヴェルの部下であったスレイマン・アスケリーがブルガリアに派遣されてIMROと共同でゲリラ戦を展開する部隊が結成された。この組織は第一次世界大戦前夜にオスマン陸軍内の特殊工作部隊であるテシュキラート・マフスーサとなった。この間、IMRO内でもアレクサンダル・プロトゲロフをリーダーとする軍人出身の活動家が組織の主導権を握った。こうして第一次世界大戦直前にセルビア,ブルガリア、トルコで陸軍内部に政府の統制を離れた秘密結社が誕生し、バーブ・アリー事件、サラエボ事件、ブルガリアの参戦等の原動力となり、第一次世界大戦の勃発とその展開に重要な影響を及ぼしたのである。
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