国家援護法(1920年)が定めた戦没兵士遺族への年金支給額は、生活するには不十分であり、寡婦や遺児の就労を見越したものであった。ナチ期の1934年には、ユダヤ人が戦争犠牲者の範疇から外された。また性役割を強調する価値観を重視するナチ党は、寡婦に再婚を促したが、戦時中は労働力不足補完のために女性を動員した。 1950年の西ドイツ連邦援護法では、遺族への年金額は戦間期と同様に生活するには不足するものであった。終戦後に奨励された寡婦の就労は、1960年代には歓迎されなくなった。戦没兵士遺家族支援から見れば、ナチ期に人種イデオロギーによって対象者が限定されたとはいえ支援策には随所に連続性が見られた。
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