1920年代の東北アジアにおいて日ソ関係は比較的安定していた。しかし、1929年の中東鉄道紛争はソ連軍の圧勝で終わり、日ソ関係に影響を与えた。張学良は、ソ連から中東鉄道の利権を回収することは南満州鉄道を支配する日本勢力の膨張に対する警告にもなると考えていたからである。 ソ連軍の勝利は、関東軍のなかに以下の認識を優勢にした。1)ロシア革命で弱体化したソ連の軍事力の回復、2)中国東北軍は「軍として機能していない」。これは関東軍が満州事変を引き起こす要因のひとつとなった。ドイツの侵略を警戒していたスターリンは、満州での日本との対立を避けたが、極東ロシアでの軍事力を強化し、日ソ関係は不安定となった
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