本研究は、1930年代半ばから40年代初めにかけての日本とドイツの総力戦体制構築の過程で、労働・余暇問題への対処を主眼とした両国の社会政策がいかなる役割を果たしたのかを、比較歴史社会学的な観点から考察しようとするものであるが、本年度はナチスの社会政策、とくに「歓喜力行団」の活動、日独関係、とくに文化面での交流、および日本と総力戦体制と厚生運動の展開の3点について、ドイツ・日本の文書館・図書館等で行う史料調査、および研究代表者の所属研究機関で行う史料分析・研究調査の2つを組み合わせて研究を進めることにより、以下のような研究成果を得ることができた。 ナチスの社会政策、とくに「歓喜力行団」の活動については、これと「ドイツ労働戦線」に関わる史料・文献を収集・精査することにより、「歓喜力行団」を中心とするナチスの社会政策が機械的組織論の批判と人間的要素の重視という方向に生産性向上の活路を見出そうとするものだったこと、またそうした先進的な社会政策が余暇の拡充を通じた生産性の向上ばかりでなく労働者の社会的統合をはかるものでもあったことを、関係者の動向を含めて具体的に明らかにすることができた。 日独関係、とくに文化面の交流については、この時期の日独文化交流の展開に関わる史料・文献、両国の関係者が記した文書などを精査・分析することにより、戦時下日本の社会改革構想がナチスの先進的な社会政策に模範を見出しつつも、これを精神主義的な方向で受容しようとしたため、余暇の拡充とは真逆の一方的な労働強化にいたったことを裏付けることができた。 日本の総力戦体制と厚生運動の展開については、厚生運動・産業報国運動に関わる史料・文献を調査・分析することにより、両運動が労働統制の強化を目的とする勤労新体制建設の動きに呑み込まれ、実質的な意味を失うことになった過程について裏付けを進めることができた。
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