ナチ・ドイツの経済の脱ユダヤ化が国策として最初に遂行されたのは、繊維・衣料産業部門であった。同産業部門においてユダヤ人の関与が大きかったこと、四カ年計画下の戦争経済において不急不要の産業部門とみなされたことが、おもな理由である。 経済の脱ユダヤ化政策の前提条件は、ある経営を「ユダヤ経営」または「アーリア経営」とみなす基準の適用であった。しかし、ユダヤ人経営を排除する政策は、ユダヤ経営がドイツ人住民の日常生活に密接に絡まり、必要不可欠なものになっていたために、さまざまな抵抗にあった。政策を進めようとするナチ指導部が否定的な「衣料ユダヤ人」像を宣伝したことは知られているが、像の形成過程と実態は未解明である。衣料産業において経済の脱ユダヤ化が先鋭化した事実を鑑みるとき、「衣料ユダヤ人」像がどのように形成されたのかを検証する意義は大きい。 最終年度は、ドイツ連邦文書館、国立図書館が所蔵する史料のほか、同時代資料・文献によって具体的な数字を明らかにしようとした。A. Marcusや、J. Letschinskyといった、ナチ政権成立期の文献のほか、Wirtschaftsblatt der Industrie und Handelskammer zu Berlinなどの雑誌の統計資料をみると、人口比を上回るユダヤ人の関与は確認できるものの、「ベルリンのすべての既製服店がユダヤ人の手中にある」といったナチの宣伝が誇張であったことがわかる。それにもかかわらず、ライヒ経済省が1937年末ごろから行政文書において、これらの数字を意図的に誇張して使用していたことも確認できた。 また、ナチ時代の市民生活展が開催されていたキール市庁舎に赴いて「衣料ユダヤ人」宣伝が一般住民にどのような影響を与えていたのかを、衣料産業部門の反ユダヤ利益団体Adefa関連の展示品によって具体的に確認することができた。
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