第二次世界大戦後になると東アフリカ各地の農務局が野外実験場で化学肥料実験を始めるようになった。東アフリカ農業林業研究機関(EAAFRO)も1948年から植民地開発福祉研究費を得て、肥料実験計画に着手した。これらの肥料実験で明らかになったのは、化学肥料の反応が土壌によって不確定であり、断定的な結論を出すことはできないということであった。植民地省や植民地政府は化学肥料の利用によって短期間で生産性を上げることを期待したが、植民地科学者の多くは熱帯の土壌や生態系と化学肥料との相互作用について慎重な姿勢を示し、両者の開発アプローチの違いが浮き彫りになった。 こうした植民地科学者の開発思想や実践がポストコロニアル期の国際開発援助に及ぼした影響を考察するため、Conservation Foundation とCenter for the Biology of Natural Systems共催の「エコロジーと国際開発」会議(1968年)を分析した。この会議は国際開発援助が生態環境に及ぼした結果を検証することを目的としたおそらく初めてのものであるが、その報告者のなかにはアフリカ植民地開発の中核を担った専門家が含まれていた。例えば、ガーナ大学のフィリプス(John Phillips)は、国連食糧農業機関(FAO)による肥料計画のもとで化学肥料の使用が普及し、生産増をもたらす一方、種子発芽の減少、土壌の酸性度上昇など植生に対する有害な結果が出ていることに言及した。EAAFRO長官を務めたラッセル(E. W. Russell) は、東アフリカにおける化学肥料実験の結果の長期的観察から、化学肥料の多くが土壌にとって有害であるとともに、アフリカの小規模農業には機械を使った耕作は不向きであると結論づけた。かれらは総じて途上国の開発が生態環境に及ぼした負のインパクトを指摘したのである。
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