本年度の調査では礼文華遺跡の広がりの北限を確認でき、また捕獲イルカの解体・廃棄に関連する場についての新知見を得られた。これによって本研究全体の成果は以下の4点にまとめられる。1)礼文華遺跡の範囲の確定、2)中心的活動域と遺跡構成の解明、3)イルカ捕獲集落の実態の解明、4)小幌洞窟遺跡との関係の解明である。 1)遺跡の広がりとしては礼文華川河口の西側の山塊裾部にそって南北約250m、礼文華川側に向かって東西約50mの範囲が「集中的活動域」であることが判明した。 2)この広がりの南北の中央付近には西側山塊斜面から流れ込む小さな谷地形があるが、それを境に南側と北側とにそれぞれ貝塚を伴った「中心的活動域」が展開する遺跡構成が明らかになった。北側の中心的活動域では活動前半期における貝層の形成から活動後半期における土坑墓の形成へと場の機能が転換することが判明した。 3)遺跡での活動期間全般にわたってイルカの遺存体を確認することができた。このことから突発的なストランディング(鯨類座礁)ではなく、イルカ猟が継続的に実施されていた可能性が高いと言える。捕獲方法については舟を利用した海上での捕獲と、海岸の浅瀬を利用した捕獲とが想定される。海岸での捕獲場所と解体場所を特定することはできなかったが、北側の中心的活動域内に解体後の遺存体が集中的に出土する地点を確認できた。 4)礼文華遺跡と小幌洞窟遺跡は同時期に併存し、遺跡としての規模差、それぞれに特化したオットセイ猟(小幌)とイルカ猟(礼文華)との補完的・対照的な関係などを考慮すると、本調査当初に予測した母村とキャンプサイトといった関係がより強まったといえる。ただし、両遺跡から出土した土器や石器の構成内容・量は、それぞれの機能差を示す内容ではなかった。この点については、本州からの弥生文化の伝播といった時代的文脈を考慮した今後の研究計画を企画したい。
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