東国において奈良・平安時代に著しく増加する溝もち掘立柱建物が、古墳時代に伝わった大壁建物の変形である可能性は指摘されてきたものの、未だ集成研究がなかった。そこで今回の研究において東国においてこの種の建物を集成したところ、溝が全周するもの、列状になるもの、柱間を溝でつなぐものがあり、それぞれ45例、43例、164例となった。これらの遺構が官衙関連、寺院関連とその周辺に所在することから、渡来人が東国へと招聘された結果であると考えた。また、奈良時代にはL字竈と呼ばれる朝鮮半島由来の竈が突然武蔵国府と武蔵国分寺周辺で出現することも、同様に理解できると思われる。
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