研究課題/領域番号 |
26370897
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研究機関 | 徳島大学 |
研究代表者 |
中村 豊 徳島大学, 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部, 准教授 (30291496)
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研究分担者 |
端野 晋平 徳島大学, 埋蔵文化財調査室, 准教授 (40525458)
中沢 道彦 明治大学, 研究・知財戦略機構, 研究推進員 (40626032)
山城 考 徳島大学, 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部, 准教授 (50380126)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 縄文弥生移行期 / 農耕起源 / イネ / アワ / キビ / 畠跡 / 石棒 / アズキ |
研究実績の概要 |
平成26年度は、徳島市三谷遺跡(縄文時代晩期後葉)における既出資料の再検討と、遺跡北側の休耕田の発掘調査をおこなった。 徳島市三谷遺跡では、1990~91年の調査において貝塚が検出され、貝類や動物骨とともに、植物遺体も検出されている。まず、堅果類の再鑑定を依頼したが、イチイガシとされていた種実群のなかに、アズキが一定量ふくまれていることが明らかとなった。この作業は27年度も継続し、アズキの点数や年代測定による検証を蓄積していきたい。 出土植物遺体にはイネがみられた。レプリカ法によって、イネのほか、アワ・キビの圧痕が多く残されていることが明らかとなった。三谷遺跡出土土器は多量のため、レプリカ法は次年度も継続していきたい。なお、三谷遺跡と同時期ないし前後の時期に相当する徳島市南蔵本遺跡(イネ・アワ・キビ)、今治市叶浦B遺跡(アワ)、高松市東中筋遺跡(イネ)などのレプリカ調査も併行しておこなった。 三谷遺跡ではこれまで1924・25年と1990・91年の2度にわたる調査によって、低湿地に土器や動植物遺体が投棄された様相などが明らかにされてきた。一方、微高地の調査はおこなわれていない。生産域(畠跡)や居住域の実態をあきらかにし、より当該期の歴史像を具体的なものとする目的で、2月~3月にかけて発掘調査をおこなった。遺跡北側の休耕田に、東西2か所のトレンチを設定した。西側のトレンチは、弥生時代前期の洪水砂がかなり深く堆積しており、当時も谷状地形に相当するものと考えられた。東側のトレンチは微高地の落ち際と考えられた。東側調査地のさらに東方に微高地が埋没しているという想定が可能となった。また、耕作をおこなっていたので平成26年度は調査できなかったが、現地形や1924・25年調査から考えて、遺跡西側の現畑地周辺にも微高地が展開していたと想定できる。これらの評価が今後の課題となるであろう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成26年度は、徳島市三谷遺跡(縄文時代晩期後葉)における既出資料の再検討と、遺跡北側の休耕田の発掘調査をおこなった。 三谷遺跡既出資料の再検討は、徳島市教育委員会の協力もあって、順調にすすんでいる。1990~91年の調査の再検討では植物は堅果類の再鑑定を依頼し、イチイガシとされていた種実群のなかに、アズキが一定量ふくまれていることが明らかとなった。農耕導入期から弥生時代にかけて、イネが他を圧倒するという考えを再考する上で、大きな成果を得たと考えられる。 出土植物遺体にみられたイネ以外の栽培植物種実を探す目的でレプリカ法をおこなった。その結果、イネ・アワ・キビの圧痕が多く残されていることが明らかとなった。狩猟採集に農耕が加わり、栽培植物も多岐にわたるという、まさに多様な生業をおこなっていた様相が明らかとなった。 なお、三谷遺跡とほぼ同時期の徳島市南蔵本遺跡(イネ・アワ・キビ)、今治市叶浦B遺跡(アワ)、高松市東中筋遺跡(イネ)などのレプリカ調査も併行しておこなっており、順調に成果を蓄積している。 三谷遺跡ではこれまで1924・25年と1990・91年の2度にわたる調査によって、低湿地の廃棄場はあきらかになってきたが、微高地の居住域や生産域の調査はなされてこなかった。2月~3月にかけて発掘調査をおこなった発掘調査によって、遺跡北側の休耕田に、東西2か所のトレンチを設定した。調査によって、いずれも低湿地を検出してしまうという結果になってしまったが、当該期の地形環境をある程度復元することができた。とくに、東側のトレンチは微高地の落ち際と考えられた。また、耕作をおこなっていたので平成26年度は調査できなかったが、現地形や1924・25年調査から考えて、遺跡西側の現畑地周辺にも微高地が展開していたと想定できる。これらの成果を次年度以降の調査に活かしていきたいと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
平成27年度は、引き続き徳島市三谷遺跡(縄文時代晩期後葉)における既出資料の再検討を継続するとともに、周辺地域の関連する遺跡のレプリカ法調査を継続していきたい。発掘調査は、前年度の成果によって想定できる東西の微高地に1か所ずつ調査区を設定して、調査をおこなう予定である。 三谷遺跡1990~91年の調査出土の堅果類再鑑定によって、イチイガシとされていた種実群のなかに、アズキが一定量ふくまれていることが明らかとなった。この作業を27年度も継続し、アズキの点数や可能な限り複数点の年代測定による検証をおこなう予定である。 出土植物遺体で確実性の高いものはイネのみであったが、レプリカ法によって、アワ・キビが明らかとなった。レプリカ法は27年度も継続していきたい。これに併行して周辺地域における同時代遺跡のレプリカ法調査をおこないたい。弥生時代以後はイネの生産が他を圧倒すると考えられているが、これを検証するために、徳島市庄・蔵本遺跡の資料調査をおこなう予定である。 三谷遺跡ではこれまで1924・25年と1990・91年の2度にわたる調査によって、低湿地の廃棄場などが明らかにされてきた。一方、微高地の調査はおこなわれておらず、居住空間や生産地の調査はなされてこなかった。平成26年度2月~3月にかけておこなった発掘調査によって、東側のトレンチは微高地の落ち際と考えられた。東側調査地のさらに東方に微高地が埋没していると想定できるため、調査をおこないたい。また、耕作をおこなっていたので平成26年度は調査できなかったが、現地形や1924・25年調査から考えて、遺跡西側の現畑地周辺にも微高地が展開していたと想定できる。その周辺にも調査区を設定したい。 昨年度の調査によって、2月末~3月は就職活動によって学部3年生の参加が難しいことがわかったので、9月に分散して発掘調査をおこないたいと思う。
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次年度使用額が生じた理由 |
発掘調査時の①謝金と②物品費が予想以上にかからなかったためである。 ①点目は、2月~3月におこなった発掘調査において、学生の参加が計画していたより少なくなってしまったためである。3年生(新4年生)の就職活動解禁は3月1日からであった。調査立案の時点では、3年生は少なくとも2月中は多くが参加できると見込んでいたものの、2月後半より予備的な説明会(これらの日程は、発掘調査立案後に決まった)などがあり、当方・学生とも予期できないほどに時間がとられてしまった。 ②点目は、調査地点からの遺構・遺物の検出があまり多くはなく、好天・高温にも恵まれ、調査地の湧水も見られなかったため、発掘調査中に見積もっていた消耗品・物品・燃料費等は、想定していたほど必要とはならなかったためである。
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次年度使用額の使用計画 |
4月~6月をめどに、出土遺物の整理作業をおこなう予定である。 出土遺物の整理作業に学生と整理作業員を雇用する予定であるが、この謝金と、整理作業に必要な物品費として残額を執行する予定である。また、4月に研究分担者の端野晋平が、研究に関連する情報収集のため関連学会(岡山・1泊2日)に参加する予定であり、旅費を執行する予定である。
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