本研究では、5~8世紀の西日本の集落遺跡の高床倉庫の検討により、考古学における集落遺跡研究で設定される集落の構成単位「単位集団」ごとの倉庫の所有、 管理および首長・豪族居館の倉に示される私富の蓄積が進展すること、その一方で「群倉」とも呼ぶべき集落全体で所有、管理される弥生時代以来の倉庫群が継続して存在することを示した。高床倉庫の所有と管理が、この時期の社会関係とその変化を解明する上で、重要な資料のひとつであると認識することができた。研究では発掘された集落遺跡に加えて、7~9世紀の倉を記録した古文書・史料・木簡もあわせて検討し、以上のような集落遺跡の様相と対応することが確認できた。 近年の考古学における集落遺跡研究では集落間のネットワークに注目した議論に重点が移っている。しかし、高床倉庫の検討によって、単位集団の動態や共有の倉庫からうかがえる集落の共同体的側面を、より具体的に描き出せることを示せたのではないかと思う。 また、朝鮮半島の集落遺跡との比較から、5世紀以降の倉庫は建築構造、穀物貯蔵システムなど様々な面で、朝鮮半島南部の影響をうけていることを論じた。5世紀以降の総柱構造の高床倉庫は、その時期に新たに朝鮮半島から導入されたものと言える。あわせて、倉庫遺構に注目した朝鮮半島南部と日本の集落遺跡の比較の意義も示せたのではないかと思う。加えて研究成果報告書では北部九州、中四国、近畿、朝鮮半島の集落遺跡の事例を取り上げたので、集落遺跡研究の資料としても、利用できる部分があるのではないかと思う。 筆者は集落遺跡の研究とともに九州北部を中心に古墳の研究、土師器や朝鮮半島系土器の研究を行ってきた。古墳や土器の研究では、そこにうかがえる朝鮮半島との関係に着目してきたが、それを高床倉庫の面から補強できたと考えている。
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