本年度はこれまでの検討結果をもとに総括を行った。中小墓の前漢時代から後漢時代への変化は以下の通りである。(1)前漢時代では大まかには華北では磚室墓、華中以南では木室墓・木槨墓といった地域差が見られた。しかし後漢時代になると華中以南でも木槨墓が姿を消し、磚室墓へと移行した。(2)各地の磚室墓は、地域差はあるものの、基本的には前室と後室が一体となっている連室墓であり、強い統一性が認められる。(3)副葬品の中心となる陶器は、前漢時代までは秦代に成立した鼎・盒・壺といった青銅器や漆器を模倣した器種がセットで副葬された。しかし後漢時代になるとこのセットが後退し、日常陶器が中心となった。つまり後漢時代になると中小墓では、①墓葬の形状としては磚室連室墓、②副葬品では模倣器が減少し日常陶器が中心となる、といった墓葬が広く分布するようになるのである。 大型墓は調査例が多くはないが、黄腸題湊による外蔵槨木室墓から、やはり外蔵槨を具えた磚室墓へと変化していることがわかる。中小墓にみられる連室墓は、このような大型墓の墓室部分が独立した形状であると考えられる。 前漢時代では大型墓は木材を大量に使う黄腸題湊を具えた外蔵槨木室墓であった。しかし後漢ではこの伝統が途絶え、磚室墓へと変化したのであり、それと連動して、中小墓では外蔵槨磚室墓の略式である連室墓が広く普及したのである。 前漢時代の儀礼関係の規定が、王莽期の混乱で失われたとの記録があり、これに従えば、前漢から後漢への混乱のなかで、前漢の墓葬に関する規定が失われ、さらにそれに基づき墓葬を築造する部署が解体されたと考えられる。そして後漢になり墓制が再構築されるときに、木室ではなく磚室となったと考えられる。そしてこのような外蔵槨磚室墓が普及したことで、各地で連室墓が分布するようになったと考えられる。
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