本研究は後漢における国家と地域社会の関係を墓葬資料から明らかにすることを目的とする。後漢の小型墓には構造と副葬品に強い統一性が認められ、その背景には共通の規範の存在が考えられる。このような規範は国家が制度として定めた皇帝陵などの墓制の影響下に成立したと考えられる。後漢小型墓の各地への普及は、その規範が地域の文化伝統を越えて受容されたことを意味しているのであり、それを可能としたのは後漢による統治の浸透と考えられる。後漢の統治が浸透することで、人々は国家を自らの社会や生活の規範とするようになり、そのため国家を背景とした後漢小型墓の規範を受容したのである。
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