本研究は、北海道の古代から中世にかけて(オホーツク文化期、擦文文化期、アイヌ文化期)、どのような儀礼が行われたかを動物遺体や住居址をはじめとする考古資料をもとに検証し、当時の精神観を明らかにすることを目指すものであった。 これまでにすでにその存在が知られていた「家焼き儀礼」は、該当事例を再集成した結果、当初の認識以上に多く行われていたことが明らかであった。住居火災は住居の一角にとどまる場合もあり、住居全体の調査が終了していない住居がかなりの数に上ることからすれば、実数はより多くなる可能性が高い。焼失住居のなかには、屋内での「動物儀礼」の跡である骨塚付近がとくに激しく燃えている事例も見られたため、「家焼き儀礼」と「動物儀礼」が連動する動きも、一部事例では明確に捉えられた。 以前から、当該地域・時期では、人を葬る際に、土器の底部に孔を開けたり、刀子を曲げたりしてから副葬する例が知られており、今回の例も、家や祀っている動物遺体に火をつけることで、本来の形や機能を失わせ、別の世界へと送る、一種の儀礼的行為だったと考えられる。このような精神観は、古代から中世にかけて連綿と続いていたことがうかがわれる。 以上のような火を用いた儀礼的行為は、注意深く観察すれば住居外でも幾例も見られ、かなり広く行われていたようである。 また、「動物儀礼」では、哺乳類や鳥類に対するものが中心と考えられているが、アイヌ文化期の遺跡で、焼けたタラ科の骨が集中する地点が確認されるなど、より幅広い対象に対して、さまざまな形で同様の行為が行われていた可能性が指摘できる。今後は、一見単純な遺棄に見えるような事例であっても、儀礼的行為の痕跡が見出せないか、詳細に検討していく必要がある。
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