最終年度にあたる平成28年度には、過去2カ年の現地調査の補足調査と、資料整理および報告書の作成をおこなった。 補足調査として黄檗宗の華南形式の墓地として岡山県津山市千年寺の住職墓地の測量調査と墓碑実測調査を実施した。その結果実質上の開基である18世紀初頭の2代鐵道和尚墓は斜面に作られた土盛りによる半円形の外周施設の存在と前面の石造墓碑の状況から、日本人埋葬に黄檗宗の故地である福建省を中心に分布する華南様式の墓地様式で作られていることが判明した。近世前期ののキリシタン墓地として大分県豊後大野市の栗ヶ畑亀甲墓地の所在する栗ヶ畑地区の現地調査と史料調査をおこなった。当地に伝わる位牌や系図および現地に残る近世墓碑の銘文などから、16世紀末の島津の豊後侵入の際のフロイス日本史の記述を裏付ける屋敷地と中世城郭をほぼ特定することができ、栗ヶ畑亀甲墓地が、その系譜を引くキリシタンの墓であることが明瞭になった。さらに長崎市内の唐人墓にかんする史料調査を長崎歴史文化博物館でおこなった。その結果唐人墓については江戸時代から明治~昭和期にかけて、文人や地元研究者の関心が高く、多くの未公刊史料が遺されていることが判明した。 本年度は3年間に調査した各墓地の実測図と調書を整理した。とくに図面については発表に備えてデジタルトレースをおこなった。調査成果の概要を報告書にまとめて刊行した。キリシタン墓については、17世紀前半の禁教期から後半の豊後崩れの時代の大分県内の墓地を調査して、1660年代まで17世紀初頭のキリシタン墓碑の系譜に連なる墓碑が使われていたことを明らかにした。唐人墓については長崎市内の菩提寺唐人墓群と悟真寺墓地を調査し、17世紀から18世紀にかけての墓地と墓碑の変化をあとずけ、さらに18世紀から19世紀幕末期の外国人墓碑が、近世初頭のキリシタン墓碑の型式に系譜をたどれることを予察した。
|