17世紀初めの江戸時代初期のキリスト教禁止令以前にキリシタン墓碑が出現する。その後1660年代までキリシタン墓の系譜をひく板状伏碑が存続することを豊後の南部の墓地調査によって明らかになった。 キリシタン禁止令は外国人にもおよび、西九州では1619年に華南様式の墓地が出現する。日本に帰化した住宅唐人は、1688年の唐人屋敷への囲い込みまでは、唐人墓の様式を維持するが、その後は日本化が進むのに対し、一時滞在の清国人の墓は唐人墓の形態を継承して存続する。 1778年には長崎にオランダ人墓碑が出現したが、その形は近世初期の板状伏碑に由来し、幕末までの日本における西洋人墓碑の原型となった。
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