朝鮮半島初期鉄器時代~三国時代の鉄・鉄器生産遺跡から出土した倭系遺物のデータベース化作業を完了した。これを時期別・地域別に分析し、倭人が鉄・鉄器生産業にどのように関与していたかを検討した。その結果は以下の通りである。 朝鮮半島南部で鉄器生産が最初に確認された遺跡からは弥生土器が出土している。莱城遺跡1号住居跡における弥生土器の占有率の高さから、初期鉄器時代に北部九州の工人が彼の地で鉄器生産に関与したとされるが、勒島遺跡での様相もこれに近い。 原三国時代になると、倭系遺物の出土は京畿道まで広がり、達川遺跡での様相からは鉄鉱石の採掘にも関わった倭人の存在も想定しうる。ただし、全体的にみれば弥生時代後期以降の土器の出土量は激減しており、鉄・鉄器生産遺構に直接伴うものもみられない。 原三国時代の終わりから三国時代初めの3・4世紀は、金海や鎮海地域の貝塚遺跡で鉄滓の出土が確認されている程度であり、そこから出土する土師器系土器も少量である。3世紀後半以降、倭では前方後円墳を中心に鉄器が多量副葬されているのに対し、この時期の鉄・鉄器生産遺跡における倭人の活動が見えにくいのは、鉄素材をめぐる流通システムの変化等、別の理由が考えられる。 5世紀以降も、鉄・鉄器生産遺跡にみられる倭人たちの活動は明らかでない。全羅道地域でその痕跡が確認されるものの、限定的である。一方、この時期から倭では近畿地方中心部において渡来系鍛冶工人による鉄製品の生産量が増大しており、対照的である。この時期の鉄素材の入手には、釜山や加耶西部地域、栄山江流域が関連したとみられるが、詳細は不明である。6世紀の余来里遺跡出土の須恵器は新羅の影響下で、製鉄にまで関与した倭人の存在について今後議論できる資料である。
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