本研究では、戦時期における工場立地の特徴と労務統制を検討し、日本の大都市圏の発展段階の中での戦時期の位置づけを明らかにすることである。本年度は、関東地方における戦時期の工場データベースの作成を行った。 まず厚生省『常時使用労働者百人以上ヲ有スル工場鉱山等調』の1939年版と1942年版を用い、工場ごとの業種・所在地・従業者数を入力し、名寄せ集計を行った。次に、日本産業福利協会発行の『全国工場、鉱山、事業場名簿』の入力を行い、昭和22年の日刊工業新聞社『全国工場通覧』については現在データ作成中である。 また、東京都区部の工場についてはかなりその位置をピンポイントで特定することができ、現在横浜市や川崎市などの工場の位置の同定を行っている。 データ作成途中であるが、工場立地の変化を概観すると、以下のような特徴が見られた。まず、1939年から1942年にかけては、日中戦争や太平洋戦争の拡大に伴って航空機産業を中心とした機械産業が拡大していた。地域的には、川崎市など旧来の工業地域の外側に大規模な工場が立地するようになった。製糸・紡績業から機械機具工業への転換も多くなされていた。次に、1942年から1947年にかけては、空襲により東京、川崎、横浜の工場が著しい被害を被り、また、戦争末期の工場疎開により、大都市地域での生産の縮小と周辺地域での拡大が見られた。また、終戦による軍需の消滅により、航空機部品を作っていた工場では農機具など製造品目の変化が見られた。 次年度は、工場データベースを完成させ、工場立地の詳細な分析を行う予定である。
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