本年度は、1930年から40年にかけての東京市を対象として、工業立地の変化、人口郊外化さらに通勤流動の変化の関係を明らかにした。区間通勤データとして1930年は「東京市昼間移動調査(昭和五年国勢調査)」を用い、1940年は「東京市昼間移動人口(昭和十五年市民調査)」を国勢調査で補って用いた。工業に関しては、「東京市統計年表」の区別工業統計を用いた。 東京市内での人口増加の推移をみると、1930年代に499万人から678万人と、189万人もの急激な増加を示した。特に新市域での増加が多く、1930年代には人口の郊外化が進展したことがわかる。次に工業の立地について1932年、36年、40年の工場従業者数の変化を検討したところ、この間の東京市の工場従業者数は、23万人、39万人、67万人と増加し、特に36年以降の増加が著しいのは日中戦争の進展により軍需産業が急拡大したためである。蒲田区など城南地域を中心とした新市域での増加が顕著であり、その比率は人口の郊外化を上回っていた。 通勤流動を見ると、新市域においては、工場の増加した城東区、品川区、蒲田区で流入超過に転じた。1930年代は都心へ向かう通勤者も増加したが、それ以上に新市域での工場の立地が進んでそこへの通勤者も増加し、通勤流動は複雑化したことが明らかになった。
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