本年度は、ドイツ基本法1条1項の「人間の尊厳」についての理解を深め、それと結びつきうる人間の共通性に基づく日本国憲法の人権条項についての具体的解釈論を行い、論文として公表した。 「それでも『人間の尊厳』は絶対である」では、まず人質等の救出の為なら拷問も許されるという主張に対して、人間の尊厳の相対化は拷問の広範な使用を帰結するゆえにその法的正当化を否定し、例外的ケースへの対処を個人の倫理的決断に求める学説を、解釈を遵守されない場合を含めて現実に与える効果から考察するものとして是認する。そしてドイツにおけるその歴史的意義からすると、「人間の尊厳」においては内容如何よりもその「絶対性」、即ち「人間に対して決してしてはならないことがある」という思想の方が重要であることを指摘する。日本国憲法に「人間の尊厳」を取り入れる際もこの絶対性を維持することにより、例えば特定の場合の人クローン産生の「事前規制」という強力な制限を正当化することができる。以上の様な解釈の現実に与える効果の視点から、自衛隊を違憲とする憲法9条解釈の多数説も、政治的逸脱行動に対する抑止など重要な貢献をしており、「非現実的解釈」がもたらす現実的インパクトを指摘する。 「人権/権利/人間像」は奥平康弘氏の「一人前の人間」論について、子どもや老人について「人権」ではなく彼らに固有の「権利」を主張する側面と、その前提として「一人前の人間」ないし「平均人」を人権主体として提示する部分に分けて検討したものである。それを踏まえて哲学的人権の正当化及び実定化に向けた実践的主張における人間像のあり方を考察し、また子どもや老人の固有の「権利」は、現在および将来における彼らの人権行使の基礎と位置づけられることなどを示した。 なお人間の尊厳と密接に関係する自然法をめぐる議論が展開される、翻訳「グスタフ・ラートブルフと『壁の射手』」も公表した。
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