本研究は、3.11の経験の反省に基づき、情報の自由で豊富な流通に基づく討議され熟慮された意見が広く市民の間で共有される自省的な社会を構想することを目的としている。3.11の経験は、何にもまして情報の自由で豊富な流通の確保の重要性を痛感させた。情報の自由な流通に不可避的に付随することになる負の作用には、情報の規制ではなく、様々な権威のある情報源による積極的な情報提供によってこそ対応されるべきである。また自省的な社会では、公共の意思決定過程は、既存利益に依拠した二者択一的な問題設定の反映ではなく、利益自体の変容をも見通せるものでなければならない。討議され熟慮された意見が市民の間で広く共有されることを促進する制度の構築、またその対極にある、偏見や憎悪に基づく表現の影響力の統制の仕方を中心的課題として研究を進めてきた。 熟議を促進する仕組みの一つが違憲審査制度であるとの理解にたって、近時全世界的に認められる政治の裁判化の傾向を検討した。民主化の進展で政治の側が積極的な違憲審査を必要とするのであるが、そのことが熟慮された意見による意思決定を促進することになる訳では必ずしもない。また日本はそうした状況にはないが、議院内閣制ゆえに熟議の有意義な展開のためには穏健な司法積極主義が必要と思われ、その条件を解明しようとした。個別的には、日本における最高裁判所の役割をめぐって、穏健な積極主義をリードした田中二郎元判事の業績を考察した。またヘイト・スピーチ研究では、アメリカとヨーロッパとの比較を進めた。ヨーロッパでは一般に刑事法でヘイト・スピーチを規制するが、ヘイト・スピーチ自体はなくなっておらず、別の方策にもっと注目すべきではないかという考えに至り、論攷を準備している。さらに立憲主義や憲法秩序の動態といったより根本的なレベルでの制度設計についても理解の深化に努め、その一部は論攷として発表した。
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