本研究ではワイマール期「社会都市」における失業扶助の展開を取り上げる。ドイツでライヒが失業問題に取り組み始めたのは、戦時福祉事業が導入された1915年のことである。だが同事業では失業扶助の運営は都市に委ねられ、ライヒの役割は補助金の支出に限定されていた。この枠組みは1918年に導入されたワイマール共和国のライヒ失業扶助にも踏襲され、1927年にライヒ失業保険が導入されるまで続いた。本研究の目的は、このようなライヒ失業扶助の枠組みの下における、ライヒと都市の関係、都市内部における公的セクターと民間セクターの関係、そして、都市自治体の内部における失業扶助と公的扶助の関係について考察することである。
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