日本郵便事業が創業以来、先行する欧米諸国と比較しても急速に整備・普及が進められた要因の考察を、「在来技術」・「移植技術」をキーワードとして欧米諸国の事例と比較検討した。研究の手順として、まず、江戸時代の宿駅制度・飛脚業者のシステムと近代郵便制度の比較検討を行った。この検討については、先行研究を再検討するとともに、実際に郵便創業に従事した前島密の文献・回顧録(「鴻爪痕」、「行き路の志るし」)や、逓信総合博物館に所蔵されている郵便創業期の未調査史料(「駅逓紀事編纂原稿」、「正院本省郵便決議簿」、「駅逓明鑑」、「駅逓志稿」など)を頼りに、宿駅制度や飛脚業者のシステムが変容しながら近代郵便制度に取り入れられていった過程を検討した。 滋賀県草津市において草津宿関係文書調査を進めるなかで、近代郵便の父と称される前島密の書状20点が発見された。これらの史料は近代日本郵便創設に係わった駅逓漁の高官・山内頼富が近代郵便の父といわれた前島密と親密な関係にあったことがうかがえるとともに、郵便制度初動期の情勢の一端が分かる貴重な資料である。郵便史研究会では、草津宿街道交流館と共同で同史料の翻刻と分析を行い、その成果をシンポジウムで報告した。私は、前島密が山内頼富に宛てた年賀状の中にある言葉「西方一部之大任」というをもとに、山内頼富が明治初期、郵便が未発達な九州地方に自ら赴き、九州各県と協議し、郵便事業の整備そして拡大に大きな役割を果たしたことを明らかにした。
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