結核療養所の情報発信力や社会的影響力について、大規模な療養所を中心にその歴史を調査した。とくに東京にある東京市療養所、大阪の刀根山療養所、福岡の尾形原療養所などがその対象である。戦後に入ると、これらの療養所はまた療養所自治会活動を出発点に組織化が進み、日患同盟という大きな組織に発展した。 発足当初の日患同盟は、療養所内の待遇改善を中止に運動を展開するが、全国的な組織になるに従って政治的要求も数多く掲げるようになり、運動によって様々な成果を獲得する。こうした動きは他の患者組織の誕生にも多大な影響を与える。たとえば、全国ハンセン病患者協議会(1951年)、全国鉄傷痍者団体連合会(1952年)、片腎会(1953年)、銀鈴会(1954年)、森永ミルク中毒の子供を守る会(1956年)日本原水爆被爆者団体協議会(1956年)、全国脊髄患者連合会(1959年)、日本リウマチの会(1960年)、日本糖尿病協会、ゼンソク友の会(1961年)、全国心臓病の子どもを守る会(1963年)、日本筋ジストロフィー協会、全国重症心身障害児(者)を守る会、全国じん肺患者同盟(1964年)、全国精神障害者家族連合、慢性一酸化炭素中毒患者会(1965年)など、その一例として挙げることができる。 日患同盟という組織で培った経験や運動の教訓、療養条件や福祉の改善に向けた様々な取組みが、後の全国的な患者運動の指針となっていく。まさに結核療養所とその患者組織は外部に拓かれた空間・組織として日本の医療、福祉の各分野に多大なる影響を与えたのである。
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