平成28年度は、「1920年勅令第二百号の学位令における女性の学位取得の実相」を研究課題とし、資料調査をもとに、論文を発表した。 1920年勅令第二百号の学位令のもとで、女性としては3人目に理学博士号を1931年に取得した加藤セチ(1893-1989)に焦点をあて、研究論文以外で発表・発言した文章を、母校である東京女子高等師範学校の同窓会「桜蔭会」の『会報』を中心に調査して、一覧化した。そこから、①生い立ちから東京女子高等師範学校への進学経緯、②北海道帝国大学への入学動機と在学時の奮闘、③理化学研究所の入所経緯と学位取得、④理化学研究所での研究生活、⑤後輩へのメッセージについて、加藤セチ自身の言葉より紹介・翻刻し、解説を付した。 加藤セチは、東京女子高等師範学校を卒業後、女性の職業が主に教職に限られていた当時の状況下で、理化学研究所で研究職をつかみ取り、スペクトルの物理化学的意義の解明を主軸とした研究を行い、博士号の学位取得へとつなげた。学位取得後は、一科学者としての気骨を示しながら、後輩の女性たちを共同研究者として育て、女性たちへの応援メッセージを与え続けていた。さらに、戦後には、1958年4月の「日本婦人科学者の会」発足の準備にあたるなど、女性科学者の先達として尽力していたことが判明した。 以上から、加藤セチの事例を鑑みても、1920年勅令第二百号の学位令のもとで女性が学位を取得するということは、各自のキャリアだけではなく、自身の後に続く女性科学者の養成にも影響をもたらしていたことが明かとなった。
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