柳原吉兵衛(1858~1945)は、大和川染工所の経営によって得た資産のほとんどを朝鮮人に対する支援活動に費やした。それらは①朝鮮人個々人に対する支援、②内鮮協和会を通しての各種支援、③李王家御慶事記念会を通しての女学生・女子教員に対する支援に大別できる。②は大阪府内鮮協和会の組織・運営による支援であり、③は朝鮮の高等女学校・女子高等普通学校の最優秀卒業生の表彰、内地(日本)に留学した女学生の支援、朝鮮人女子教員の内地学事視察などである。①は②③から派生した人々をも含み、その数は計り知れない。柳原自身は、生涯の中で最も多くの努力を重ね、支援したのは③であったと述べている。 3回にわたって実施された「朝鮮人女子教員内地学事視察」では、朝鮮各道から選ばれた女子教員たちに各地の小学校や新聞社、名所旧跡の視察をさせただけでなく、昭和天皇即位式関連諸行事の拝観、李王家並びに総督府関係者宅の訪問、皇室や朝鮮王室関係者等との面談を最優先しており、この点で朝鮮総督府が主催した内地学事視察とは著しく異なっている。事業を通して皇室への尊崇の念を深めた柳原の意向が、内地学事視察の目的や見学場所にも反映されたためである。 柳原の支援活動は、李王家御慶事の喜びを共に祝いたいという素朴な願いから始まったものであるが、周囲からは「吉兵衛の他意なき熱心がこれを大成なさしめた」と評され、支援を受けた側からは、深い愛情から発した行為と捉えられた。また、女子留学生や女子教員は、日本の朝鮮支配を象徴する皇室や朝鮮王室との謁見等に対して違和感を抱いておらず、光栄に思うという記述を多数残しており、拒否や反発などマイナスの評価は見られない。しかし、視察記の皇室や日本精神に関する感想では、毎回ほぼ同一の文章が綴られており、学校等で教え込まれた語彙の範囲を超えておらず、柳原が願うほどの受け止め方ではなかったことが窺える。
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