本年度は、峰地光重の郷土教育論を事例に検討した。具体的には、「生産と教育」論争や農村教師の社会認識の比較を通して、教育の目的論、学校と地域の関わりについて分析を行った。 本研究では、峰地の郷土教育論が教育の個人的目的と社会的目的の2つをつなごうとした点に特質があることを検証した。大正自由教育は、すべての人間がそれぞれみずからの権利を自覚して、自然から与えられた能力を十分に開花させるという教育の個人的目的を基盤としていた。一方、郷土教育は「生産と教育」論争における柏崎の論に見られるように、国家・社会の形成者を育成するという教育の社会的目的に力点を置いていた。池袋児童の村小学校において、峰地は生活を重視した児童中心主義的教育の意義を見いだすが、その後郷里に帰って赴任したのは池袋児童の村小学校と全く環境の異なる農村小学校であった。峰地は大正自由教育の意義をとらえながらも、赴任先の学校で農村の現実に即した教育をする課題に直面した中で、独自の郷土教育論を生み出したのである。 峰地が地域との関わりを大切にしながらも全村教育的実践に消極的だったのは、科学的な郷土認識の育成を主眼とし、社会的目的と個人的目的を結びつける郷土教育を志向したためであった。加えて、教育の社会的目的重視は、のちの時代に教育が戦争協力に利用されていった点からも明らかなように、国策に使われる危険性をはらんでいる。峰地は、自力更生運動の一環として展開されている全村教育が学校と地域の連携を取るのに有益である一方、全体主義的状況が強まる問題を含んでいる点について理解していたため、消極的であった。
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