本年度は、昭和戦前期農村の小学校における学校教育と社会教育の接続について、滋賀県蒲生郡島小学校の事例を検討した。島小学校は、昭和戦前期における郷土教育の実践校として全国に知られ、国内はもとより、遠くは台湾、朝鮮、満州からも多数の参観者が訪れた。同校は1930(昭和5)年から1944(昭和19)年までの15年間に、約50冊もの学校や教師の著書を出版した点においても、他に例を見ないといえる。 島小学校では、はじめに郷土調査を行って郷土読本や郷土資料室をつくり、学校内で児童に対する実践を進めていった。これは各教科を総合的に郷土化して学習する場を児童に提供するものであったが、村民にも郷土を理解させ、郷土の発展に貢献させるための博物館的役割も果たした。その後、1935(昭和10)年には、村の社会教育組織である青年学校、青年団、処女会、主婦会の整備・拡充・強化を進め、翌1936(昭和11)年には村の学級経営計画を樹立して、とりわけ次年度から「農村生活へ門出せんとする運命を有する所のもの」である高等科2年生への教育を重視し、村に即した教育の徹底をはかった。さらに、1937(昭和12)年には全村学校、1938(昭和13)年には農民道場を設立し、一般村民に対しても教育を行うようになっていった。学校内の実践を郷土のために村全体へと広げ、学校教育だけでなく社会教育にも積極的に取り組んだのである。こうした学校教育と社会教育の接続について、実践を行った教員の関わりに着目して検討を進めた。
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