本研究は、戦後教育における学校儀式と国旗・国歌との関係を、敗戦直後から1989年改訂の学習指導要領が全面施行まで射程にして、その基本史料を可能な限り収集するとともに、学校における国旗・国歌の取り扱いの変容過程を実証的に究明した。 本年度は、この研究課題の最終年度であったため、過去4年間に収集・検討した史料を再検討することにより、本研究課題の区切りとして、一定の結論を導き出し、その成果を論文として発表した。本研究により、少なくともの、以下の二つについては、重要なものであると認識しており、既にいくつかの共著や単独論文で指摘した。 第一は、敗戦直後から1948年後を中心とする動向である。敗戦直後から日本国憲法成立と教育基本法制定を経て、天皇を神格化するような儀式内容の禁止である。御真影への「拝礼」、教育勅語「奉読」は儀式内容から排除されたが、「君が代」斉唱や日の丸掲揚は、従前通り行われたが、1947年6月の学校教育局長通牒により学校儀式における天皇の神格化の表現をする内容が禁止され、宮城「遥拝」、「天皇陛下万歳」が禁止されるにおよび、祝日学校儀式の挙行例は減少し、1948年7月の「国民の祝日に関する法律」により祝日が変更し、祝日学校儀式が激減したことを明らかにした。 第二は、講和独立から1980年代にかけての動向である。1952年の講和条約締結による日本の独立回復により、復古的な天皇観が台頭するようになり、元旦、天皇誕生日、文化の日という旧三大節の流れを汲む祝日に際し、組織的に旧三大節に準ずる学校儀式が復活し、これが増加し、御真影に替る、日の丸が儀式の中心の一つになることを指摘した。建国記念の日の制定に及び、復古的天皇観の復活と批判され、祝日学校儀式が急速に衰退し、学校儀式における国旗・国歌が注目されるのは、1989年の学習指導要領改訂であることを明らかにした。
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