本研究の目的は、美による国民形成と道徳再建の可能性を、その両者の関係性をめぐる歴史的変遷に遡って改めて追究するところにある。 中国社会の急速な経済発展によって、国民生活がこの20年間著しく向上を遂げ、豊かになった。しかし、その一方で、道徳低下の問題も指摘されるようになった。これまで行われてきた道徳教育は社会の様々な問題に対応できなくなったという反省から、国民の心を豊かにする役割をもつ道徳教育はどうあるべきかという問題が、重要課題として再び社会に注目されるようになった。 中国は清末以後の近代化に伴い、美および美育による国民道徳向上の思想とその実践があった。美を強調する知識人の努力があったからこそ、西洋と異なる中国ならではの近代化が実現できたと思われる。その意味で、今日行き詰まっている道徳教育の状況を打開するための一つの試みとして、美を重んじる中国近代知識人の言説と活動を研究することは現実味を帯びるものであり、大きな意味があるように思われる。 美を重んじる中国教育史をめぐって、20年代初頭、中国国内では、北京大学元総長蔡元培を中心に美育が進められてきた。本研究では、彼の理論と実践にあてて、美の理念とその教育のあり方をいかに社会全体に浸透させたのかを明らかにした。一方、同じ20年代初頭、西洋美術や音楽を学ぶために、多くの留学生が日本にやってきた。芸術に対する彼らの理念と活動は、後の中国近代芸術教育の構築に大きく貢献した。日本で学んだ留学生たちの実態、そして彼らが帰国後の活動などを、当時在籍していた日本の大学の資料、帰国後の中国での執筆活動と教育実践、また、彼らの家族へのインタビューなどの調査を通して、芸術によって中国近代化を進めていく留学生の特質を明らかにした。その資料を最終年度にまとめ、留日芸術学生の資料集として、2018年に中国で出版する予定である。
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