本研究は、戦後日本における地方教育行政の中核的な組織である教育委員会の制度化過程について、同時期に制度化が進行していた地方自治システムのなかに位置づけ直すことを通じて、その特質や課題を明らかにすることにあった。研究に着手した当初は、日本政府内の省庁・部局間や占領統治機構内の部局間・スタッフ間の認識の差異や分布に着目し、教育委員会制度として定着する以前、あるいは再編される過程での構想やアイディア、課題認識等から今日のあり得べき地方自治制度の可能性を考察しようとしていた。しかし、本土の占領過程には、当初想定したほどの差異の分布が見られないことが明らかとなり、他方で本土よりも米国による統治期間が長く、その影響力がはるかに大きかった沖縄の占領下では米国の自治システムが日本のシステムに強制的に接合されたことにより、様々な課題や可能性が見いだされることが分かってきた。 沖縄に米国型の教育委員会制度を導入した際にとくに課題となったのは、学区という学校行政単位である。公法人としての学区が行政単位となる米国型では、地域の教育意思が学校に直接的に反映できる利点がある一方で、財政基盤が弱い地域と強い地域との格差が生じることが課題となる。財政面や教員供給数における地方間格差は、教育の機会均等を保障するうえで大きな障害となり、本土復帰に伴う教育制度の本土化以前から徐々に地方間や中央による調整システムの形成が促されることとなった。 沖縄の占領下の実践を一国多制度の先行例と考える筆者は、そうした調整過程を米国型制度を導入する際に生じる制度コストの低減策と積極的に捉え、生み出された知恵を論理的に位置づけ直すために平成28年度までの研究期間を一年延長した。その結果として、課題の中心である教員人事問題を「働き方」改革と関連付け、「一国多制度」の事例研究として発展させる視野を得ることができた。
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