三輪神道系大工儀礼書には、大工の始祖を①天津児屋命、②天津児屋命・手木帆負命・彦狭智命、③天津児屋命と中国の伝説的工匠である班輸(魯班)に求める三つがある。 大工の始祖を①天津児屋命に求めるのは、最古のものは、①1543(天文12)年に阿闍梨快秀が書写した『番近大事十七通』(茨城県立歴史館所蔵普門寺史料)である。同書の「大工番近切紙一紙」には、「亦云大工ト云事天津児屋御身ノ子孫大神工神トテ二人御座ス也。」と、大工は天津児屋命の子孫で、大神と工神の二人がいるという。 「大工番匠切紙一通」など大工関係の諸大事は『三輪源流神道口訣中巻』に記されている。快厳は天津児屋根命に加えて、「手木帆負彦狭智文伊弉冉御子也。又太玉命御兄弟也」と手木帆負、彦狭智は伊弉冉の子どもであること、太玉命は兄弟であると述べている。この三神を大工の始祖とするのは、管見では1746(延享3)年6月21日に武州羽生領生善院で傳燈大阿闍梨耶教嶽が記した『三輪流伝授作法集上』がもっとも古い[大神神社史料編修委員会編1982]。快厳が参照したのはこの『三輪流伝授作法集』かもしれない。同書の「大工番匠之切紙一通」に「天児屋根命、手木帆負彦狭智命」とある[大神神社史料編修委員会編1982 212頁]。 福島県奥会津地方に伝わる『番匠十六巻一流之大事』は天児屋根命を大工始祖としている。しかし、他の文書が後半部分の「大工番匠之切紙一通」に記されているのに対して、『番匠十六巻一流之大事』では冒頭の「番匠児屋大事往古」に記されている。また、第二巻「細工箱之大事」には、天地開闢の時に大梵天王が初めて五明論を説き、その中の工巧明論という細工を説く御経が、大工の業の始まりであるとする壮大な神話と、班輸(魯班)の大工始祖の話が記されている。
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