研究課題/領域番号 |
26420651
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研究機関 | 神奈川大学 |
研究代表者 |
内田 青蔵 神奈川大学, 工学部, 教授 (30277686)
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研究分担者 |
安野 彰 文化学園大学, 造形学部, 准教授 (30339494)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 住宅不足 / 無尽式 / 住宅供給事業 / 家と電話 / 朗 / 平尾善保 / 昭和戦前期 |
研究実績の概要 |
今年度は、日本電建株式会社の事業の特徴と考えられる無尽式に光を当て、戦前期における住宅供給事業における無尽式の位置づけを試みた。 日本電建株式会社の事業の特徴は、世界恐慌簿の1930年代に無尽の手法で小口の資金を集め、全国規模で住宅供給事業を展開したことである。住宅供給の動向を振り返れば、わが国では1921年の住宅組合法に代表されるように低利資金の融通を行い、個人が自ら住宅を建て所有するという持家を奨励した。東京では、関東大震災の被害もあって、東京市周辺部に住宅地が拡大化され、持家の多くは郊外住宅として建設された。しかしながら、1927年の金融恐慌による緊縮政策により住宅組合の融資割当の縮小、1931年の満州事変、翌年の上海事変などによる軍需産業の拡大化などにより、住宅不足の問題は解消されず、特に軍需工場の労働者向けの住宅不足という新たな問題も生じていた。 こうした昭和初期に生じた住宅難のなかで始まったのが、無尽に類する手法で庶民から小口の資金を集めた住宅会社であった。無尽とは、頼母子講(タノモシコウ)と称された民間の金融組織に、組合員が定期的に掛け金を出し、資金等を順番に受け取る仕組みのことである。日本電建株式会社は、この無尽式により資金を集め、住宅入手の事業化を行ったと考えられる。この無尽式により住宅供給を展開した企業は、1921年の神戸の内外住宅合資会社と1930年の大阪の第一相互住宅株式会社が知られ、日本電建株式会社もほぼ同じ頃の創設であった。昭和初期には、こうした無尽式による住宅供給をめざす企業が多数出現していたのである。ただ、こうした企業は、資金力が脆弱で信頼性があまり得られなかったものが多かったが、日本電建株式会社は広告雑誌『家と電話』『朗』の発行などを通して社長の平尾善保が自ら健全性や公益性を広く説くなど、優良企業として認知されていったと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究開始前から既に研究の中心資料となる日本電建株式会社の広告雑誌『家と電話』及び『朗』の収集を行い、研究対象の期間時に発行された広告雑誌のおよそ7割ほどまで入手済みであった。研究開始後の予定として、最初に残りの広告雑誌を全国の大学図書館等から探し出し、収集することをめざしていた。しかしながら、いざ探すと、予定に反して入手できずにいた広告雑誌を所蔵する図書館が見つからず、広告雑誌探しは現在でも継続中という状況にある。それでも、現在、ようやくその一部を所蔵する図書館を発見することができた。ただ、戦前期の古い雑誌のため、紙質も悪く、また、保管状況も悪いため撮影等の許可がなかなかもらえず現在交渉中である。このように、当初入手する予定の資料の確保が遅れ、それが原因で、研究が遅れている。それでも、資料の発見ができたことより、最終年度でもある次年度は資料収集を行い、最終的な考察に入る予定である。
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今後の研究の推進方策 |
完全ではないものの、日本電建株式会社の基礎資料と位置付けている広告雑誌は、ほぼ収集のめどがついた。そのため、研究計画の変更は必要ないものと考えている。また、日本電建株式会社では、広告雑誌とともに住宅系単行本も多数発行している。こちらの単行本の収集はほぼ終わっている。こうした単行本の多くは、広告雑誌の記事をまとめたものが多く、次年度はまとめとして広告雑誌と単行本の内容の対応比較等を行う予定である。また、広告雑誌記事の中で、施主が住宅について述べている記事があり、それらを整理し、なぜ多くの人々が、持ち家をめざしたのかの理由を探り、併せて、日本電建株式会社社長の平尾善保がなぜ持家供給をめざしたのかを、明らかにしたいと考えている。また併せて”持家”に関する意識について、戦前期に刊行された他雑誌や新聞記事などを資料として分広く見てみたいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
資料収集が、予定通りに行えず、それゆえ、その次の作業の進捗が遅れてしまった。
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次年度使用額の使用計画 |
資料収集のめどが立ったため、次年度は予定していた作業に使用する予定である。
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