研究課題/領域番号 |
26420653
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研究機関 | 京都橘大学 |
研究代表者 |
登谷 伸宏 京都橘大学, 文学部, 助教 (40447909)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 中近世移行期 / 北陸 / 城下町 / 織田政権 |
研究実績の概要 |
本研究は、中近世移行期の城下町に注目し、都市空間の変容過程とその特質を解明することを目的としている。 平成26年度は、織田政権による城下町建設をとりあげ、①城下町形成過程、②城下町における寺社の配置、③既存の都市との諸関係、④地域の政治社会構造について文献・絵画史料の調査・収集を進めるとともに、⑤中近世移行期の城下町形成に関する研究支援データベースの構築を行うことを計画していた。 こうした研究の目的・計画にもとづき、26年度は、北陸地方の城下町、とりわけ織田信長の家臣である金森長近の建設した大野城下町を分析の対象に選んだ。現在の大野城下町は、直線道路が碁盤目状に通り、長方形街区・短冊形地割を持つ非常に整った形態を持つ。こうした城下町の形態が、仮に長近段階で完成していたならば、羽柴秀吉長浜城下町とともに、織田政権の建設した城下町のなかでも非常に先進的な形態を持つとすることができる。すなわち、大野城下町の形成過程を明らかにすることは、織田政権の城下町建設において非常に重要な意味を持つと考えられる。そこで、大野城下町について、以下の点について検討を行った。 1)戦国期における大野盆地の政治・宗教的環境、2)大野盆地における都市・町場の様相、3)金森長近による大野城下町の建設過程、4)城下町における寺町の形成過程、5)北庄・長浜など、同時期に建設が進められた織田政権の城下町との比較 その結果、戦国期の大野盆地には、亥山城と、それに近接した町場(=土橋町)が所在するとともに、その周辺には寺院が点在していたこと、城下町の長方形街区の形成が明らかとなるのは、慶長年間まで降ること、寺町の本格的な成立も、寛永期まで待たなければならないことが解明できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成26年度は、織田政権による城下町建設に関する史料調査・収集、地域の政治・宗教的環境などの確認、研究支援データベースの構築を主たる目的としていた。こうした作業はおおむね順調に進められており、まだ十分ではないものの、大野城下町の形成過程、織田政権の城下町建設における位置づけについて見通しを得られるところまで到達できたと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は、以下の作業を進める予定である。 1)大野城下町の形成について論文を執筆すること 2)北庄・長浜など大野城下町と同時期に建設された城下町の形成過程について史料調査・収集をさらに進めること 3)豊臣政権による城下町建設に関する史料の調査・収集 4)研究支援データベースの充実
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