産婆の職業的確立にかかわる歴史的経緯では、産婆學雑誌が発刊されたこの時期、細菌学の発展により細菌感染の原因菌が特定されるようになり、産褥熱などの回避方法が明らかになってきた。これまでの経験知だけでなく、科学的な視点を持ちあわせる必要性を随所に説いていた。産婆には、このような科学的な知識を持ち合わせたうえで実践に臨むことが専門職であることが説かれていた。例えば、産褥熱を出すような対応をすれば恥と思うようにと戒めの記述などが見受けられる。さらには、分娩に対する根拠を見出すために、統一した分娩記録様式の活用とそのデータの収集を試みていた。 当時の現任教育内容および産婆や産科医の知識や実技(わざ)として2つの特徴があった。①生活者である妊産婦を中心としてみることであった。楠田氏は本誌の冒頭に、産婆の仕事は日常生活の中にいる女性の幸不幸、ひいては家族の幸不幸を左右する重要なことと説いている。そのため、本誌では随所に、「妊産婦にとってどういうことになるか」を中心に記述されていた。また、生活者である女性に対応していることが読み手にわかるために、事例にはその妊産婦の生活が浮き彫りになる記述がなされていた。妊娠・出産時にお産を扱う者が、明日からでも臨床において実践できるよう、簡潔で具体的表現がなされていた。②臨床の経験の積み重ねが実技(わざ)となることであった。本誌には、事例が多く掲載されていた。妊婦健診が充実することなく分娩時だけ呼ばれる産婆にとって、分娩時の出来事は突然でありその対処方法を熟視しておく必要がある。しかし、情報ネットワークは近隣の産婆の経験を聞くにとどまりやすかった時代においては、他の者の臨床経験を読み共有することは、自らの知識と技の積み重ねになっていた。
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