本研究は、助産に携わる職業に「産婆」の名称が用い始められた明治期における、産婆の職業的確立にかかわる歴史的経緯、当時の現任教育内容および産婆や産科医の知識や実技(わざ)を、「産婆學雑誌」を紐解くことにより明らかにすることを目的した。結果、産婆學雑誌が発刊されたこの時期、細菌学の発展により産褥熱などの回避方法が明らかになってきたことで、産婦に最も近い産婆に対して、これまでの経験知だけでなく、科学的な視点を持ちあわせる必要性を随所に説いていた。また、楠田謙蔵氏は、当時の産婆の現任教育に、生活的視点と科学的視点を持つための現任教育を「産婆學雑誌」の発刊を通じて精力を注いだ。
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