戦間期の中東欧諸国の中で、チェコスロヴァキアは最後まで議会制民主主義を維持した国として知られる。しかし、同国は、多民族国家としての困難も抱え、そのドイツ系住民の処遇問題が、ナチ・ドイツの介入を許し、外圧による国家解体を招くことになった。 ドイツ系住民は、数の上ではチェコ系住民に次ぎ、スロヴァキア系住民より多く、「マイノリティ」とは言い難い存在であったが、劣位の存在という点での「マイノリティ」であった。その中でドイツ系大土地所有者は、「ドイツ系」であるという出自と、社会的不平等を体現する者として、二重の意味でチェコ人民衆の敵とみなされた。彼らは歴史的にチェコ人民衆の土地を奪った者として土地改革の対象となったが、土地改革準拠法の文言自体には直接的な民族条項はない。しかし、運用上の不利は明らかで、彼らは、法的代理人の助けを借りつつ、ドイツ大土地所有者連盟、チェコスロヴァキア大土地所有者連盟、モラヴィア大土地所有者連盟といった利益団体を活用し、チェコ系大土地所有者とも協力して、自らの財産・利害を守ろうとした。その際、従来からの貴族のネットワークも活用されたが、そもそも大土地所有者の民族性についても、本人のアイデンティティと周囲のレッテル貼りが必ずしも一致せず、複雑だった。 これらの実態については、本年度、南ボヘミアのトシェボニュ国立地方文書館で、チェコ最大の土地所有者家系であったシュヴァルツェンベルク家文書を渉猟することによって、明白なものとなった。また、現在に至るまで、南ボヘミアの産業や景観に、かつてシュヴァルツェンベルク所領の影響が残っていることが確認された。また、前年までと同様、国民文書館、国民図書館での史料収集も行った。それらの成果の一部は論文として発表した。
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