日本手話の成立は,全日本ろうあ連盟の公式見解では1878年の京都盲唖院設立だとされている.しかし,これはろうあ運動としての見方であり,聾社会が組織化していなくても聾児が生まれた家庭で自然に手話が発生するというのが定説であり,これをホームサインと呼ぶ.聾学校制度が確立した後も,経済的事情や地理的事情から聾学校に通わなかった聾者もいて,通称未就学聾者と呼ぶが,彼らはホームサインの使用者である.しかし標準手話を学んだ手話通訳者には理解できず,聾団体からも「手話がわからない人」「身振り」として処理されてきた.そのため,言語的特徴など,一切調査されていないのが現状である. 未就学聾者は離島に残存していることが言われてきたが,事前調査で新潟県佐渡地区に数名,在住していることがわかった.そこで筆者らは新潟市の聾団体や佐渡市の聾団体・通訳団体・聾家庭の協力を得て,まず実態調査を行い,家庭訪問などを実施した.本研究では,1名の聾者のホームサインを収録することができ,その分析を行った. 今回の調査で,いくつか特徴的なホームサインを収集することができた.その中には,現在の日本手話に通ずる表現もあることが分かった.本研究ではこの聾者に対して2回の収録を行えたが,そのあとに亡くなられてしまったため,これ以上の収録およびホームサインの詳細な調査ができなくなってしまった. しかしながら,他の地域にも未就学聾者がいることが分かっている.この人達のホームサインについても調査・分析を行い,さらに手話の源流を探る必要がある.
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