研究課題/領域番号 |
26570017
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研究機関 | 愛知教育大学 |
研究代表者 |
堀内 真由美 愛知教育大学, 教育学部, 講師 (60449832)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 脱植民地化 / ジェンダー / 英領西インド諸島 / 西インド連邦 / ジーン・リース / フィリス・オーフリー |
研究実績の概要 |
今年度(初年度)の研究においては、次のような作業を行ない以下の成果が得られた。 1.イギリスでの資料収集と考察 2014年9月、ロンドン大学、英連邦研究所資料館において、西インド連邦関連の資料を閲覧し、複写可能なものについては持ち帰ることができた。西インド連邦は1958年から62年まで存在した、英領西インド植民地のうち10島が参加した連邦で、いずれは自治権をもつ英連邦内の自治領をめざしたが、国連での植民地主義批判の波に動揺した本国政府が積極的関与をなかば放棄したという事情や、島嶼間の対立などによって、わずか4年で解散することになる。入手資料からは、連邦構成単位(島)のうちでも単独での独立可能性を内包していたジャマイカ、バルバドス、トリニダードの指導者たちの間に、先行研究で指摘されてきた対立構造を読み取ることができた。また本研究の目的でもある、脱植民地過程とジェンダーに関しても、連邦参加単位のドミニカ島代表で、唯一の女性連邦大臣であったフィリス・オーフリーが、女性であるがゆえに直面していた苦悩も伺い知ることができた。 2.英連邦ドミニカでの資料収集と考察 2015年2月、英連邦ドミニカの首都ロゾーの国立公文書館において、西インド連邦の発足と瓦解にいたる過程が、どのように受け止められていたかを、現地発行の地元新聞の記事を検索することにより、把握することができた。また、西インド連邦大臣であり、ドミニカ労働党党首でもあったフィリス・オーフリーの連邦での活動や、本国で起こっている西インド人移民への差別問題への対応など、二つの地域にまたがる、彼女の西インド人としての政治的志向を考察することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究の大きな目標は、国家間、あるいは国・地域を超えた個人どうしが「植民地責任」とどう向き合い、それを言語化して共有していけるか、とりわけ植民地政策のもとで必ずしも政策決定主体ではなかった、女性というジェンダーにとっての植民地責任とはどのようなものかを明らかにしていくことである。 本研究では、英領西インド諸島を背景に、「クリオール」と呼ばれた現地植民地生まれの英系白人たちの、脱植民地過程における言動を考察しようとしている。しかし女性に焦点を当てようとするとき、総督をはじめとする植民地行政に関わる本国男性の妻や家族として、あるいは奴隷主の家族として歴史には登場するものの、積極的にみずからの考えを書き残した女性を探すのは容易ではないことが予想された。 ところが運よく、本国で名声を得たドミニカ出身クリオール作家、ジーン・リースの生涯をたどるうち、もう一人のクリオール女性、フィリス・オーフリーの存在に突き当たり、さらに、彼女が西インド連邦の唯一の英系白人女性閣僚であったという事実から、イギリス、ドミニカ両国の資料探索を実施するための資金と機会を保障されたため、一気にその人物像に近づくことができた、このことが、本研究の目的達成において、初年度内に実行できた内容がおおむね満足のいくものになった主たる理由である。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究は、次のような手順を踏んで行う予定である。 1.イギリスでの資料探索 イギリスでは引き続きロンドン大学英連邦研究所にて、西インド連邦成立までの本国側の意図を明らかにするような文献を調査する。それとともに、フィリス・オーフリーも本国滞在時代に関わった、1940年に設置されたフェビアン植民地局、および局内の「西インド委員会」の活動を具体的に考察したい。 2.ドミニカでの資料探索 ドミニカにおいても、引き続き、国立公文書館にて、地元新聞の記事を手掛かりに、当時の西インド人たちにとって「西インド連邦」とはどのような意味を持っていたのかを考察する。そのことで、白人クリオール女性であるフィリス・オーフリーあるいは彼女から西インドの情報を提供されていたジーン・リースが抱く「脱植民地過程における責任感」と現地の非白人住民らの脱植民地に対する姿勢との間に、どのような共通点があり、またどのような相違点があったのか、それはまたどこに起因するものだったかについて考察を進める。
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