本研究は、第一次世界大戦時(1914-18)の主としてフランスの美術史家の言葉と行動を調査し、戦時の国内向けの愛国的言説、および対外的な「文化工作」というべき攻撃的言説が、いかに戦後のフランスでの美術史編纂に影響を及ぼしたのか、その理念と現実の見直しを図ることを目的とした。 この戦争はフランス国内の文化遺産に多大な被害を与えたが、当地では、戦前の政教分離政策のなかで、以前よりキリスト教の教会や文化財は危機的な状況にあった。また、フランスではそれ以前より、大革命の経験のもとで、教会美術、王統派美術、共和派の美術などが、政治的党派を超えて一貫したフランスの美術という認識を得ることができず、文化遺産の保護およびフランス美術の歴史編纂は行える状態になかった。そうした危機的状況の中で起こった対外戦争は、フランスの美術史家にとっては、国内の文化遺産を統括的にフランスのものとして認識し、保護する追い風となったといえるだろう。共和派の美術史編纂を担ったアンリ・フォシヨンやポール・ジャモら戦後に活躍する美術史家の言説には、戦前には見られないルイ・ディミエのような王統派的言説やルイ・レオのような愛国的言説がみられるようになるのはそのためであった。 戦時の活動や文化工作的言説および歴史認識は、非常時の一時的なものとみなされることも多いが、戦後のフランスの美術史編纂の理念(普遍主義、国際主義、平和的人文主義など)を詳細に検証するならば、戦時の言説が深く影を落としていることが分かる。フランスを中心にした大戦間の平和主義的な美術史理念はその後、国際的なスタンダードとなっているが、その起源は戦時の戦闘的な言説にあることを明らかにした。
|